【まとめのまとめ】
チャンネル登録はこちら
https://goo.gl/QN6ioA
人によっては胸糞かもなんで
スルーよろ。
うちは年の差15(母が年上)
の両親と私と旦那と子供で住んでて、
これまで特にトラブルは無く
穏やかに二世帯で暮らしてた。
子供も小学校上がる年に
なったし思い出作りに
思い切って海外いっちゃうかー!って
テレビ見ながら何の気も
なしに適当に言ったら母が
突然激しくキレだして突然
泣き出した。
普段穏やかで何が起きても
ニコニコしてる母だったので
私家族はびっくりして暴れる
母を止める父を眺めるしか
出来なかった。
それから数日母が寝込んで、
暫く顔を見せない日が続いて
何度か心配になって顔を見に
行こうとすると父に止められ
1ヶ月近く顔を合わせなくなり。
父を問い詰めた。
きっと何かの病気なんだと思ってた。
問い詰めた父が話したのは
誰も想像してない母の過去だった。
母は父と出会う前に別の
家庭をもってた。
若い内に結婚し年子の男の子
2人の母親だった。
上の子が小学校に上がる頃
家族で思い出作りに旅行に
行ったんだって。
で、その旅行先で事故に
巻き込まれて母と下の
子だけが助かった。
その後、事故後の後遺症で
リハビリしながら母実家で
暮らしていたら
祖父母の知り合いの息子に
出会いそれが父。
祖父母の強い圧力もあり
強引に結婚することになったらしい。
続きます。
その当時、親の力は偉大で。
母は拒否なんて出来ず。
ましてや後遺症が残っている
母親一人で幼子と生きていく
のは凄く困難だった。
だから祖父母の言葉に納得
仕掛けても気持ちが追い付かず、
勝手に進む自分の人生に
メンタル的に追い込まれ
子供を残して家を飛び出したらしい。
何ヶ月も家に帰らず、
色んな所を転々として
いたけど女1人、
傷持ちの女なんてどこ
行っても目立ち父親が迎えに行き。
説得して実家に帰らずに父と
子と生活していたらしい。
やがて私が生まれ、色んな
生活が落ち着きつつあった頃。
前の家族との子供が事故で
亡くなった。
どうして私が兄と呼ばないのかは、
私はこの話をその時初めて
聞いたから。
ずっと一人っ子だと聞かされていた。
母の前の生活を知る人は私の
身の回りに祖父母含む親戚の
人も沢山いたのに
誰も私には言わなかった。
ずっと私は何も知らずに育ち、
大人になり、旦那と出会い。
子供にも恵まれて。
母の苦労も父の思いも
知らずに
「思い出作りに皆で旅行に行こう!」
なんて言ってしまった。
父が言うには母は私を
責めてなどいなかったけど、
精神的に昔の家族と今の
家族とごっちゃになってしまってて
精神的に不安定になって
いるので一時的精神科に
かかっていた。
この事は旦那にも話したけど、
話しているうちに
涙が溢れて結局まともに
説明は出来なかったけど
何となく自体は理解出来た
のか一時的に私と私家族は
子供の学区内近くに家を買い、
両親とは離れた。
それが最善だったのか
分からないけど、
母は私の事も子供の事も
認識は出来るようにまで
なってくれた。
ちゃんと娘と孫だって
分かってくれてる。
でも多分、もう一生母は前の
私の知ってる母にはならないと思う。
きっと私のあのときの一言で、
色んな、私の想像を超えるような
押さえつけていたモノが母の
母たる何かを壊したんだと思う。
父は相変わらずただただ
優しく母の事を支えてくれてるし、
父は私も私家族のことも
考えて家を離れた今も
サポートしてはくれてる。
きっと何も知らない人が
見たら幸せな家庭に見えるんだろう。
色んな事割り切れるまで
時間がかかるだろうけど、
母が抱えてた物を皆で分けて
持って最後まで母を支え
られたらいいなーって思う。
今思えばこそだけど私は
きっと色んな人の善意の仲で
育ったんだと気付いた。
両親の祖父母の他に祖父母がいた、
もう亡くなってしまったけど
その方々が母の前の
旦那さんの両親だった。
亡くなった家族のお盆とかは
私は呼ばずに母とその方達が
執り行っていたらしい。
お盆になると母は何日も
独りで出かけてて、
私と父はその間2人で
過してたりお出かけをしていた。
どんな思いで2人は私を育てたのか、
どんな気持ちで過ごしていた
のか考えると限がない。
私も亡くなった兄の
お墓参りに行きたいと言ったけど
父は母が全て独りで行うと
言い出した事だから
本人からの話がない限り
行かない方がいいと言われたので
きっとまだ触れてはいけない
んだと思う。
時々ふと母が発狂した日を
思い出すけど、
私はきっと謝る事も許さ
れない事をしたんだ。
母だけじゃなく父にも。
なんか色々ごっちゃになっ
ててすみません、
整理するつもりで書いた
んだけど全然出来てないし
結局自分の書きたいことだけ
書いてしまった。
読みにくくってすみません。
これで終わりにします。
お目汚し失礼しました。
お母さんは
かわいそうだけどは何も
悪くないと思うけどなぁ
>私はきっと謝る事も許さ
れない事をしたんだ
って気に病みすぎないほうが
いいと思うよ
ぜんぜんあんた悪くないのに
悲劇の主人公気取りしてないか?
バカバカしいぞ?
落ち度がないから悪くない、
責任取らなくていいって
もんじゃないだろう。
何も知らせて貰えてない
状況での何気ない一言を責め
られる理由はないよ
だよなあ
「一緒に旅行に行こうね」なんて、
特に家族間の会話で特異な
もんじゃない
長い人生のなかで、そういう
話題が出る可能性も十分に
あるってのが普通
その可能性を踏まえた
うえでに事実を話して
いなかったということなのだから
すべての責任はそれを伝えて
いなかった側にある
旦那さんやお子さんが言う
可能性だってあったんだし、
NGは言っておいてくれたら
良かったよね
婚姻届出すときに戸籍謄本
出さなかったの?
いらんやろ。
親の家に住んでるのに。
仮に戸籍見たとしても、
戸籍の筆頭者は父だから養子
縁組してない限り前の子は
出てこないでしょ
再婚がいやだったのに結局
その相手に支えられて
子供までもうけたのか
お父さん聖人だね
心にも身体にも傷を負った
バツイチ子持と結婚して
嫌がられて家出までされて…
ひとつだけ言えるのは、
あなたは何一つ
悪くないということだけだ。
きっかけのひと言を発したとしても、
普通の家庭での普通の流れの
言葉だし。
赤の他人からしたら、
家庭を持った時点くらいで
父親が事情を話して
おくべきだったと思うよ。
言ってもしょうがないけど、
むちうち 後遺症 気圧 在 まとめまとめの Youtube 的精選貼文
【まとめのまとめ】
チャンネル登録はこちら
https://goo.gl/QN6ioA
十数年前の友やめ話
物心ついた時から食べる
ことが大好きで、
食欲に合った体型だった私は
高校生になっても
ポチャなんて言えない
レベルのデブだった。
デブだったけど、持ち前の
プラス思考で友達は
それなりにいて楽しい高校
生活だった。
この高校時代、入学当初に
出会って一年と少しで友やめ
したのが同級生のA。
Aは
「自分は真面目に普通に
生きたいのに地元の不良
仲間達からは憧れられ、
中学の恩師だと思っていた
人間からは言い寄られ、
街中を歩けば歳上からナンパ
されてばかりで困ってる…」
という相談を逐次私に報告してきた。
報告されているときは
子供ながらに漫画みたいな
ことって現実にもある
んだなー凄いなー、
と思いつつも自分がその場で
目撃しているわけではないので、
そうなんだビックリしたね
いろんな人に好かれる
Aちゃんってすごいね、
と言って流していた。
今でもAが話していた内容が
本当かどうかは知らない
(ぶっちゃけこんな痛い
内容が事実かどうかなんて
どうでもいい)
Aからの報告を聞きながら
他の友人と遊んだり部活動に
励んでいたある時、
私は体育の授業中に怪我を
して学校を二ヶ月ほど休む
ことになった。
身体の一部に現在も若干の
後遺症はあるものの、
日常生活には問題ない
レベルまで回復しているし
何より完全に不慮の事故だったので、
当時私に怪我をさせたことを
気に病んで大泣きしながら
連日謝ってくれた友人とは
なんの遺恨もなく今も
付き合いが続けられている。
私自身もこの事故が
きっかけとなり大痩せする
ことができた。
LLサイズの洋服しか
入らなかったのに、
復学する時はS-M
サイズにまで落ちたのだ。
病院の先生からは
「落ち方は異常だけど、
今までどれだけ間食してた
のかよくわかるねw」
と言われ、
親からは
「餓鬼のように食べ続けて
いたあんたが怪我してから
急に普通の子よりも
少ないくらいの食欲に
なったからいよいよ??
んでしまうかと思ったけど、
元気そうでよかった」
と泣かれ当の私は
「不幸中の幸いwラッキーw」
と思いつつ二カ月ぶりに登校すると、
体型が変化し過ぎて
気づかない同級生が多く、
復学を祝われるよりもどう
やって痩せたんだ!
という女子達からの質問
責めにあった。
痩せると人間現金なもので、
化粧やおしゃれをしたくなった。
友人達にお願いしてやり方を
教えてもらい、
雑誌のファッションを一緒に
勉強してとても楽しかった。
ちなみに怪我をして休学
復学&おしゃれを始めるまでの間、
Aからはなんの音沙汰もなかった。
他の友人達からはお見舞いの
メールが来たりしていたのに
彼女からはなんの
コンタクトも来なかった
ことは少し寂しかった。
それでも、復学してからの
女子トークが楽しすぎて、
Aとのちょっとした
疎遠なんて頭のどこかに
吹き飛んで女子高生らしい
おしゃれや遊びをして日々
過ごして満喫していた。
痩せて身体が軽くなった
せいか部活でも功績をあげる
ことができ、
進級したばかりの全校集会で
表彰をされたある日、
久しぶりにAと接することができた。
言葉は交わさず手紙だけ渡さ
れて去られたので、
その時に見たAの表情でしか
感情の機微を悟ることは
できなかったけれど、
どうやら怒っているらしい
事はわかった。
人気のない場所に移動して
手紙を読んでみると以下の
ことが書いてあった。
「今まで何の連絡もして
こなかった上に、
他の子達と私の
悪口だけでなく父親の
ことまで言うなんて最低。
もう二度と話しかけてこないで。
私とは絶交する」
連絡をしなかったのはお互い様だし、
他の友人達とAの悪口なんて
話したこともないし
(そもそも他の友人達はAと
接点がなさすぎて話題にも
あがらない)
父親のこととはなんの事だか
さっぱり…
(会ったことも聞いたこともない)
それでも突然の絶交の手紙に驚いて、
Aになんとか詳細を聞いて
自分に非があったなら
謝らなくてはと思った。
教室に戻り別の子と話して
いたAに手紙のことで話がしたい、
と言うと
Aは
「私とはもう
話したくないからこっちに来ないで」
と言われ授業開始の
チャイムが鳴ったこともあり
悲しい気持ちになりながら
席に戻った。
落ち込みながら受けていた授業中、
Aから手紙がまわってきて、
急いで中を読むと
「私とは共通の友人が多いから、
急に関係がなくなると他の
人たちまで巻き込んでしまう。
それは私の本意ではない。
廊下で挨拶くらいはするのが
人として当然だから、
これからは挨拶だけしよう」
とだけ書かれていた。
この上から目線の文を読んだ
瞬間にだんだんと腹が立ってきた。
共通の友人なんて
数えるほどしかいないし、
他の人を巻き込みたくないと
いうならさっき話しかけた
時にAがきちんと二人で話す
ことを了承してくれればよかった。
勝手なことを言って勝手に
絶交したのはそっちなのに、
なんなんだ!
ということを返事として
書いてAにまわしてもらったら、
手紙を受け取り読み終わった
後らしいAはものすごい顔で
こちらを振り返って睨んできた。
隣の席の友人が一番
怖かっただろうと思う。
いきなりあんな顔を見るのは引く。
その後Aから再びきた手紙には
「私が片親で父親が
居ないって知ってるのに
父親の話をしていた!!
そういう話をするなんて
どんな神経してるの!信じられない!
最低!!」
と紙に一部穴があく筆圧で
書かれていて、
父親が居ないっていうのは
初めて聞いたし、
友人達と家族の話になった
時に確かに私の父親の話はしたけど、
悪いことを話していた
わけではなく父親と本屋に
いって一緒に色んな本を
見たり教えてもらうのが
すごく楽しいという話を
勝手に聞いて自分一人で嫉妬
して当たってきただけか。
と納得したのち脱力した。
前から自分が誰に何をさ
れたとか困ってるっていう
自慢話や苦労話は意気揚々と
聞かせるのに、
自分は言われたわけでもなく
遠くから聞いただけのことに
目くじら立てて突撃してくる
ような子だったんだ、
じゃあもういいやってなって
「絶交でいいです。
もう挨拶も何もしません。
アドレスも消しました」
と返事を書いてAに再度
まわしてもらってCOした
つもりだった。
授業中に珍しくAと手紙を
まわしていたので、
まわすのに協力してくれた
他の友人達が心配して聞いて
きてくれた。
父親の下りは伏せて
「ちょっと仲よかったと思っ
てたんだけど、
なんだか相性悪かったみたい」
とだけ話してAと私は今後
関係を持つことは
なくなったということだけ伝えた。
その後から何故か実家に
明け方四時頃に非通知がきたり、
私のアドレスに出会い系の
メールが来たりしたけど、
非通知拒否とアドレス変更で
さっくりと対処できたので良かった。
去年、数少ないAとの共通の友人から
「Aが私のことを最近何して
いるのかなって気にして
いたからアドレス教えていい?」
と言われたので、
こちらは家庭も子供も持って
いて忙しいしAとは連絡
とりたくないからやめてほしい、
と伝えた。
いったい今更になってなんな
んだ…Aが意味不明すぎて怖すぎる。
取り留めのない文を投稿さ
せてくださり、
ありがとうございます。
> こちらは家庭も子供も
持っていて忙しい
これは言わない方が良かったね。
ゲスパーだけどAは今幸せじゃ
なくて格下認定してた貴女に
擦り寄ろうとしてるんだと思う
貴女のご主人とお子さんを
守る為にも余計な情報は
与えちゃダメだよ
お返事ありがとうございます
成人前にAは男性の家に
転がり込んで暮らしているらしい、
とは噂で聞いていたので
それからだいぶ経つ今、
こちらにすり寄ってこようと
していた意図は確かに
少なからずある
んじゃないかと思います。
これ以上は橋渡しをしようと
した友人にも注意をして
様子をみようと思います
Aは本当に気持ち悪い奴だな。
259を今も下に見ていて
やりたい放題やってるとしか思えない
なんにしてもかかわっちゃ
いけないと思う。
お疲れ様でした
むちうち 後遺症 気圧 在 まとめまとめの Youtube 的最佳貼文
【まとめのまとめ】
チャンネル登録はこちら
https://goo.gl/QN6ioA
誰も見てないだろうがスレ
立ったら勝手に書く
実はほとんど猫が出てこないが。
小学校高学年の時に雄のキジ
トラを拾ってきた。
まだ子猫で目も開いていない。
慣れないながらも育てていたら、
体力があったのかすくすく育った。
絶対親に反対されると思ったが、
不思議とOKがでる。
そのとき両親とも不仲で
いつ離婚してもおかしくない
状況だった。
両親の会話は年に一度あるかないか。
ガキながら空気を読んだが、
正直言って苦しかった。
5歳上の兄はほとんど家に帰らず、
家の中では猫と遊ぶのが日課。
猫も嫌々ながら付き合ってくれた。
少しだけ猫のことを書くと、
とにかく頭がよかった。
トイレは言わずにできたし、
言われていることの
理解度は極めて高かったと思う。
ただ、猫一倍ずる賢く、
俺はしっかり猫の奴隷だった。
それでも居心地の悪い自宅で
唯一の救い。
ちょっかい出していつも噛ま
れていたが。
その後、高校大学と進んで
社会人になって家を出た。
東京で一人暮らし。
母親が猫の面倒は見てくれていた。
実家も遠くはないので、
月に2回は帰宅していたかな。
不思議と両親は離婚しなかった。
そんなときに
父親が心筋梗塞でぶっ倒れる。
救急車の中で心室細動。
幸いにしてすぐAEDを使用し、
後遺症もなく
一か月ほどで退院することができた。
これがきっかけで両親は
ぎこちないながらも普通の
夫婦に戻った。
猫関係ないけど。
そんな猫も17年目を迎えた時に、
獣医から先が短いと告げられた。
会社を休んで実家に戻って
介抱を続け、
それでも一週間後に息を引き取った。
お寺で供養したが、
何をするにも気力がなくなった。
なし崩し的に仕事も辞めることに。
この職種に就きたくて
頑張った経緯があるのだが、
ダメだった。
で、ニート生活へ。
自堕落な生活を続けていたが、
半年後の月命日の時に
「これじゃいかん」と思い、
再就職を決意する。
その日、偶然に前の職種の同業他社が
募集をかけてると知る。
その会社は自分が新卒の時に
最初から諦め、
応募すらしていない大きな会社だ。
同業とはいえ
しがない中小での経験など
無意味だと思ったが、
最初の一歩を踏み出す意味で
応募してみた。
幸い、年齢制限はギリギリ
大丈夫だった。
筆記試験。
なぜか自分の専門
分野ばかりから出題。
一次面接。
前社をなぜやめたのか、
半年何やってたかといった
聞かれて困る内容をなぜか
質問されない。
二次面接。
交通機関のマヒで遅刻した。
もちろん連絡は入れたが、
面接で一切言い訳をしなかった
ことが逆に評価される。
最終面接。
決定権のある専務
(後で知った)
と趣味がもろかぶり。
ほとんど面接になっていなかったが、
終盤には「君ならやれる」と
言われる。
ていよくあしらわれたと思ったが、
内定通知が届く。
条件を煮詰める面談で、
総務部長から不思議な一言。
「大企業の転職組はつまらない。
中小の変わったやつを採用
するつもりだった」
いまだに変人扱いですが…
とにかく仕事を頑張ったら、
結果が後からついてきた。
今だから言えるが、
生え抜き組は会社に胡坐を
かくタイプ。
前述の専務に気に入られ、
先輩どもを追い抜いて行けた。
群れるつもりがなかったので、
嫌われてはいたかな。
社会不適格と言われればその
通りだろう。
あるとき「前社がつぶれた」
との情報が入ってきた。
不況真っ只中。
あの時辞めていたおかげで
転職もスムーズにできたし、
この時なら年齢的にもアウトだ。
気づけば取引先から自分が
指名される仕事が増えた。
専務の退社時には
「これで後ろ盾が消えた」と
揶揄をされていたが、
新経営陣も無視できないレベルにまで
取引先とのパイプを広げていた。
そりゃ土日関係なく取引先と
付き合い、
仕事無関係で相談に乗り、
頼まれごとは絶対に断らない
ようにして、
相手と対等の立場で話せる
ようになったからな。
順風満帆かと思ったが、
あるときに病魔に侵される。
難病指定を食らうほどのもの。
大学病院の先生から
「治療のため仕事続けるのは無理」
と断言された。
もう辞めるしかないか…
というか命を絶つことも少し
考えたよ。
直属の上司と今後の手続きのため
前述の総務部長にも話をする。
ちなみに総務部長は役員に
なっていた。
だが、総務部長がとある
医者を紹介するという。
言ってみるわかったが、
その先生は少し前まで大学でも
私の病気で権威と言われる人だった。
その総務部長の奥さんも同じ
病気だったという。
先生は大学を引退したが、
患者本位の病院を開いており、
それが私の家からバス一本の
距離だった。
問診2時間。
先生は「大丈夫だ。
治る」と最後に言って、
治療方針を説明された。
会社からの圧力を総務部長が
止めてくれ、
俺は週3回ほどその病院に通う。
一時はリアルにあの世にいき
掛けたが、
入院もせずに済んだ。
何万人も診てきた先生ですら
奇跡に近いとのこと。
先生の治療は完ぺきだった。
数か月後にはほぼ治り、
いまだに定期検診は行くが、
日常生活には全く問題ない。
トライアスロンに挑戦しても
いいと言われた。
そして会社に復帰。
今年のお盆は猫が
亡くなってから10年の節目だ。
ふと
「あの時に会社辞め
てなかったらどうなってたか」
を考えた。
直接的には両親不仲の緩衝役、
猫が亡くなった後も俺の転職と病気を
考えられないほどの巡り会わせで
救ってくれたのではないか?
改めてそんなことを思った。
いまは再び一人暮らしを
始めているが、
猫の写真はきちんと飾っている。
本当にありがとう。
内容は違うが
bump of childの
Kという曲うをおもいだしました。
猫が主人のために、
にゃんこが最後に
全ての不幸の芽に砂をかけて
潰して行ってくれたんだな
いつかに寿命が来て
にゃんこと天国で会ったら
お礼言わなきゃな
手土産持って行けよな
すごい勢いで終わってたw
猫関係なさそうだけどええ話や
良い話&良い上役ですね。
・゜(ノД`)・゜・。
さんは仕事出来る人だから、
優遇されていたし、
妬みもあったのでは?
お身体大事にしてくださいね。
猫ちゃんのご冥福をお祈りします。
冥福を祈っていただいてありがとう
これで最後にする
信じるわけではないのだが
猫が他界した後に守られてる感がある
仕事に関しても
「災い転じて福となす」
ことが何度もあった
失敗してもなぜか
最後は想定以上に成功して
いたりするんだよ
親が倒れて担ぎ込まれた時も
冷静に行動することができた
猫の他界後は
俺を成長させたことは間違いない
亡くなる前の日は
滅多に来ない俺の布団に来て
同じ枕で寝ていた
だらしない弟を前に
最後に激励に来てくれたのかな
でも10年たつのにまだ涙が
出てくるが
これくらいは許してくれ
うちの言うこと聞かない
くるくるぱーなにゃんこも
何かの時は助けて
くれるかなと思ったけど
たくさん食べて遊んで長生き
してくれたら
いいや、って思った
さんの猫ちゃん素敵だね
私も猫に助けられてるな
病気で働けなくなった時も
新しい仕事で煮詰まったときも
猫のご飯代、病院代
稼がなきゃと頑張れた
噛むし爪出すしおバカだけどさ
いい話だ
猫もあんたが頑張ってるの見て
助けてくれたんだろうと思う
これ、猫に助けられたのは
子供のころだけじゃないの?
あとはこの人の積み重ねが
いい方向に行ったってだけで
猫関係ない。
いらんこと言うなや
>>18
夏目漱石夫妻も同じような
経験をしていることを、
この前 NHK のテレビで
やっていたよ。
猫を祀る寺や神社は日本中に
沢山あり、
猫を大切にしている人の家に
ある招き猫の力は
いろいろな人によって
実証済みだから、
それは奇跡ではなく普通の
ことなのだと思う。
猫ちゃんというのはそういう
生き物なのでしょう。
(つい最近も、アメリカで
大きな犬に襲われた飼い主の子供を
命懸けで助けた猫の映像が
ネットで大反響を呼んでいましたね)
あのアメリカの猫すごかったね。
猫のああいう無邪気な
正義感というか、
本能的に仲間を大切にするところには
魂が揺さぶられる。
俺もだいぶ昔に亡くなった
おばあちゃん猫がいまでも
忘れられない。
いつも俺に寄り添ってくれて
いたなぁ。
いつかお礼を言わなきゃ。
【我が子たちを救助するため
5回も炎の中に飛び込んだ
母ちゃん猫】
涙が出て来るね。
動物の母性愛というのは
神仏の心だということがよく分かる。
犬猫の行動に意味づけするのは
人間の思い込みかもしれないけど
少なくとも懐いてくれているだけで
充分に恩返しされてるよ
心の交流があるということが
いかに素晴らしいことか
飼い主は生涯忘れない
>犬猫の行動に意味づけするのは
人間の思い込みかもしれないけど
思い込みじゃないよ。
人も動物も同じ。
京都大学の霊長類研究所には、
人間の行動だけが
心の働きによるもので、
動物たちの同類の行動は
機械的な反射によるものだと
考えている馬鹿学者が多が、
そのような考えは
トンデモない思い上がりだと思う。
それなら、人間の行動でも
自分が好きな人間たちの愛情行動は
心の働きによるもので、
嫌いな人間の愛情行動は
単なる反射に過ぎないと言えばいい。
>動物たちの同類の行動は
機械的な反射によるものだと
これはないね。
俺は以前に猫たちが夜の空き地で
鬼ごっこみたいに遊んでる
のを見たことがある。
一匹が草むらに隠れて
もう一匹の不意をついてニャッ!と
万歳するように眼前に
飛び出して驚かせてた。
してやったりと得意げに逃げたけど
驚かされたほうは今度は高い
石垣にのぼって
「ここまでおいで」といった感じに
挑発してた。
おそらく最初の猫が臆病ものだから
仕返ししたんだろう。
最初の猫は挑発にのらず、
その後も懲りずに草むらに隠れて
驚かそうとしてたけど
最初のようには二度といかなかった。
俺は猫がここまで人間と同じ
ように行動するのを
知らなかったから心底驚いた。
本当に不思議でかわいい動物だよ。
こう書くと陳腐になるけどさ、
猫は神的なところがある。
明治の
「尋常小学校読本
(じんじょうし
ょうがっこうとくほん=教科書)
には
猫は物心両面で人間を救う
力がある動物(主意)と書か
れていた。
明治期のペストの流行も
猫たちが献身的に防ぎ、
東京の人たちは
「猫様・猫さん」と呼んで、
呼び捨てにはしなかった。
昭和50年ごろまでそんな
風潮が残っていたな。
猫さん、ありがとう。
不思議な生き物だよねえ、
猫は。
人間世界にいながら野性を失わず、
人間と共存するも人間に媚びず、
しかし人間を癒し慰め、
決して自らを貶めず
野性としての誇りを保ち、
いつも静かに笑っている。
前いた猫が亡くなって、
一年後位に
縁があって新しい猫を迎える
事になった
毎日玄関にお出迎えしにきて
バンザイしてコロコロする
それ