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「現役にして伝説のライダー」バレンティーノ・ロッシのすごさとは
記事引用:https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/spaia/sports/spaia-column_8141
世界で最も有名で人気のあるライダー
2輪ロードレースの最高峰MotoGPは1949年からWGP(ロードレース世界選手権)として始まり、今年で70周年を迎えた。これまでに数多くの世界チャンピオン、名ライダーが誕生した。その中でも有名なのが、バレンティーノ・ロッシ。現役にしてモーターサイクルの歴史上、最も偉大なライダーとの呼び声が高い。名選手、伝説、彼の呼び方はどれも最上級の言葉ばかりだ。
1996年に世界選手権にデビューし、現在2019年までの間、世界チャンピオンに9回輝き、今年40歳になってもチャンピオン争いを行っているまさに鉄人である。
1997年に125cc、1999年に250cc、2001年に最高峰500ccのチャンピオンを獲得、2002年からWGP500ccクラスからMotoGPクラスに変わってからもロッシは頂点に君臨し続けた。2001年から5年連続で世界王者になり、2006年、2007年はチャンピオンにあと一歩届かなかったが、2008年、2009年に再び世界チャンピオンに輝いた。
以来、チャンピオンからは遠ざかってはいるが、ドゥカティ時代の2年間(2011年〜2012年)を除けば、常にランキング上位でシーズンを終えている。現在ロッシの優勝回数は115回、表彰台に登った回数は234回(共に全クラス通じての記録)と長く参戦しているだけではなく、常にトップライダーとして活躍していることがこの数字から見て取れるだろう。
全てを支配していたロッシ
モータースポーツに限ったことではないが、どのスポーツにも絶対的なスター選手がいる。彼らの実力はもちろん、すごいところは全てを支配している事だ。
例えば、かつてF1を支配したミハエル・シューマッハは1強だった時代(2001年〜2004年)に彼の走らせ方、セッティング、タイヤでないと他の選手も勝負にならなかったのだ。
つまり、自らのスタイルをF1界全体のトレンドにしたのだ。現在のMotoGPでいうとマルク・マルケスがそれに当たる。全てを味方にすることも、突き抜けた存在になるために必要な能力ではないだろうか。
ロッシが圧倒的な強さをみせた2001年〜2005年もそうだった。足出し走法も彼が編み出したライディングスタイルであり、一気にMotoGP界、はたまた世界中の2輪レースのトレンドになった。
しかし、それ以降は若いライダーの台頭やレギュレーションの変更により、これまでのやり方では勝てなくなった。ここからロッシは、これまで確立させてきたライディングスタイルを変更し、その時代に合わせた。 今までMotoGP界に君臨した選手が、自分のスタイルを捨てた勇気もまた称賛に値する。
自分のスタイルを変えることはライダーにとって恐怖であり、難題と言えるのではないだろうか。しかし、この難題に取り組めるのはデビュー当時から変わらないレースへの情熱があってこそだと思う。ロッシの才能はマシンのセッティング能力、天性のライディングスキルなど挙げれば切りがないが、一番は20年以上レースを愛し、情熱を持ち続けていること、そして飽くなき勝利への執念なのだろう。
「最速」ではなく「最強」と呼ばれる理由とは?
ロッシのライディングスタイルを物語るデータがある。それは予選結果だ。優勝回数が115回に対し、ポールポジションの回数は65回と意外と少ないことがわかる。予選で一番速いということは自身のスピードを象徴するものであり、他のライダーに対して自分の強さを誇示する有効な手段である。では、ポールポジションの数が比較的少ないロッシは速くないのかと言えばそれはNOだ。
予選で速さを見せることも重要だが、大事なのはあくまで決勝の結果である。そのためフリー走行だけでなく、予選も決勝のセットアップの時間に充てるのだ。たとえ予選で下位に沈んだとしても、決勝に合わせ込んだセッティングと持ち味の勝負強さでレースが終わってみれば優勝、もしくは表彰台圏内でフィニッシュしている。
キャリアが長いベテランらしい戦い方にも見えるが、ロッシは20代前半からこのような戦術を用いている。これが、ロッシが「最速」ではなく「最強」と呼ばれる理由なのかもしれない。
前人未到の記録まであと7勝
数々の記録を更新し、「生きる伝説」と呼ばれるロッシにもまだ超えていない記録がある。それは、ロッシと同じイタリア出身の伝説のライダー、ジャコモ・アゴスチーニが記録した122勝という大記録だ。
アゴスチーニは獲得した世界タイトルが15回(ロッシは9回)という歴史上で最も成功したライダーであるが、この先、破られることはないと思われていた通算122勝にロッシはあと7勝まで迫っている。
この大記録を破ってほしいと世界中のファンが望んでいる。今年40歳とは言え、少なくとも記録を更新するまでは引退してほしくないと思っているファンも多いのではないだろうか。 ベテランになっても、ロッシから目が離せない。
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【MotoGP 】フレディースペンサー NSR500
MOTOGPを語る上でフレディ・スペンサーはなくてはならない存在であり、フレディ・スペンサーを語るにはNSR500を避けることはできない。
それほどフレディ・スペンサーはMOTOGP界の伝説とも言うべきライダーであり、数々の栄光を手にした実力とその美しいフォームにしびれるファンも多く、1988年に鈴鹿サーキットでNSR500による引退記念走行を行うまで多くの人を魅了し続けた。
ただし、伝説の中には栄光とは対照的に挫折を余儀なくされる逸話も残っている。
また、NSR500はフレディー・スペシャルとも呼ばれ、今でもMOTOGP500ccクラスを代表する常勝マシンとして多くのファンの記憶に残っているだろう。
フレディースペンサーの説明文はWikipediaを引用しております。
クリエイターコモンズ(再利用)にて許可がされておりますのでご承知おき下さい。
★フレデリック・"フレディ"・バーデッド・スペンサー(Frederick "Freddie" Burdette Spencer, 1961年12月20日 - )は、アメリカ合衆国ルイジアナ州出身の元モーターサイクル・レーシングライダー。1983年にはロードレース世界選手権(WGP)500ccクラスで、史上最年少チャンピオン、1985年には同じくWGPの500cc、250cc両クラスでシリーズチャンピオンを獲得した。
世界グランプリ・フル参戦
1982年、ホンダ・ワークスから世界GPへのフル参戦を開始。同年からホンダはNR500(4ストロークエンジン)に代え、2ストローク3気筒エンジン搭載の新型マシンNS500を実戦投入しており、スペンサーはこの車両を駆って同年のスペインGPで初のPPを獲得[1]し、ベルギーGPで世界グランプリ初勝利を遂げる[1]。その後も1勝を挙げ、ランキング3位を獲得する。
1983年にはヤマハのケニー・ロバーツと、年間12戦のうち6勝ずつ分け合う激しい戦いを展開。最終第12戦サンマリノGPではケニーが優勝して対戦成績を五分に戻したが、獲得ポイントはスペンサーが2ポイント上回っており、500ccクラスのチャンピオンを獲得することになった。この時点でスペンサーは21歳8ヶ月であり、2013年にマルク・マルケスに破られるまでロードレース世界選手権の最高峰クラスにおけるシーズン制覇の最年少記録であった[2]。
1984年からホンダはV型4気筒エンジン搭載のNSR500を投入したが、車両の独創的レイアウトの影響によるトラブルが多く、スペンサーはシーズン5勝をあげるもランキングは4位にとどまり、エディ・ローソン(ヤマハ)にシーズンタイトルを奪われた。ちなみにスペンサーはこの年、NSR500とNS500をコースによって使い分けていた。
1985年シーズンは前年の成績を挽回すべく、WGP500cc、250ccの両クラスにダブルエントリー。500ccクラスでは全12戦中11戦に出走し7勝をマーク。250ccクラスでは全12戦中10戦に出走しやはり7勝を収め、両クラスとも最終戦を待たずして年間チャンピオンを確定。'70年代以前には同一年に複数のタイトルを獲得する例も多く見られたが、世界GPにおける「Wタイトル」はこの年のスペンサーが現在までのところ最後の記録である。また、500ccと250ccのWタイトルは世界GP史上スペンサーのみである。なお90年代後半にダブルエントリーが認められなくなったため、この記録を破ることは現在不可能。
右手首故障
シーズンオフには肉体改造を試み翌1986年の開幕戦・スペインGPに登場。予選ではポールポジションを獲得し、決勝レースもスタートからトップを独走した。しかしスペンサーはレース中に右腕に故障を発症してピットインし、そのままリタイア[3]。以後のレースでもリタイアが多く、スペンサーはシーズン途中で戦線を離脱し、結局1986年は獲得ポイントなしであった。
1987年、復活をかけたデイトナのスーパーバイクレースにおいてVFR750を駆り予選最速タイムを叩きだすが、前走車の転倒に乗り上げてしまい転倒骨折、本戦には進めなかった。[4]世界GPの開幕戦・鈴鹿(日本GP)では予選初日の第1回目セッションを5周しただけで手首の状態が良くない事を理由にエントリーを取り消し。スペンサーがレースに戻ったのはシーズン中盤戦以降であった。ポイント獲得はスウェーデンGPでの7位完走・4ポイント獲得の1回のみであり、ランキングは500ccクラス20位であった。
1988年にはスペンサーに対するロスマンズのスポンサードが復活し世界GPにフル参戦する予定だったが、オーストラリアでの開幕前テスト走行でやはり右手首の腱鞘炎の痛みが消えていない事が確認され、3月16日に現役引退を発表。開幕戦・日本GPの会場である鈴鹿サーキットを、ゼッケン19をつけたロスマンズカラーの最新型NSR500で1周ゆっくりと手を振りながら引退記念走行を行った。
カムバック
約1年後、スペンサーは手首の手術を行った結果、状態はほぼ万全に近くなったとして引退を撤回。1989年にはジャコモ・アゴスチーニ率いるマールボロ・ヤマハチームに加入し、YZR500で世界GPに参戦した。しかし思わしい結果は出なかったため、シーズン途中でチームを去ることになった。帰国後には背中の手術もしている。1992年当時、フレディの腕の不調の原因は白蝋病、と言われていた[5]。
1990年のデイトナではVFR750Rでスポット参戦。翌1991年、1992年とAMAスーパーバイク全戦に参戦し1991年に1勝、1992年に1勝を挙げた。1992年のホンダの勝利は彼だけだった。
1992年には日本の鈴鹿8耐にミスタードーナツホンダRVFで参戦。最新ワークスマシンではなかったにもかかわらず予選3位と驚異的なタイムを記録、決勝は転倒を喫しながらも4位で完走した。その後、かつてのパートナーだったアーヴ・カネモトの協力で、南アフリカGPの数日後にキャラミでNSRをテストする機会を与えられ、ここでも好タイムをマークした。
1993年にはヤマハ・モーターフランスチームから世界GP500ccに参戦するも、やはり好結果を残すことは出来ず、同年をもって世界GPからは完全に引退した。
1995年にAMAスーパーバイクレースにドゥカティから参戦し、ラグナセカで優勝。1996年に二度目の引退を発表し、以降はレースへの参戦は無い。
近況では、アメリカのラスベガスでバイクのライディングスクールを経営していたが、世界不況の煽りを受け現在は休業している。2008年には鈴鹿8時間耐久レースの特別イベントとして、かつて1985年にWGPチャンピオンを取ったマシンNSR500でデモラン走行を行い8耐に来た観衆を大いに沸かせた。
フレディー・スペシャル
スペンサーが直接開発に携わった1984年〜1986年型NSR500は、当初ワークス系チーム内でもスペンサーにのみ与えられており、"フレディー・スペシャル"と呼ばれた。
なお、1986年シーズンはチームメイトのワイン・ガードナーもNSR500でレースに出走。以後はNSR500がワークスライダーとサテライトチームに供給されている。
特徴
バイクを長い手足(身長178cm)の下で自在に操り、コーナー終盤の立ち上がり加速を重視するライディング・スタイルが特徴とされる。ファーストラップから驚異的なタイムでライバルを引き離し、2位以下に大差をつけての独走優勝というレース展開が多かった。アメリカ国内で走っていた時代には既に、第1周回から圧倒的なラップタイムで他を引き離す走りで知られており、“ファスト(速い)・フレディー(Fast Freddie)”と呼ばれた。
スペンサーの走法は、キャンバーアングル(バンク角)の変化によるマシンの向き変えが異様に鋭く、ダートトラックレースの走法であるパワースライドを用いて両輪差を駆使し、定常円旋回している時間が極端に短いのが特徴だった。また他のライダーに比して高回転域まで使用することでも知られた。
1983年のフレディについて、おなじNS500を操るチームメイトだった片山敬済と片山のチーフ・メカニックを務めていた杉原真一は次のように語っている。「フレディの膝の動きはバランサーだ。別に路面がデコボコしているわけじゃないのによく動く、バランサーだな」(片山敬済)[6]。「フレディはわりとすべっても平気だよ。よく感知できないっていうか。エッ!! すべってたの、ってカンジだ」(杉原真一)[7]。また、片山は、フレディが自己流なライディングをしていると言われていることに対して、「フレディは、タイヤがすべっていることはよくわかっているよ。ちゃんとコントロールしているんだよね」(片山敬済)と話している[8]。
アメリカ時代から日本のアライヘルメットを愛用しており、レプリカモデルのヘルメットがファンの人気を集めた。このデザインは元々USホンダのオリジナルであったがスペンサーはそのヘルメットのまま世界GPに出場し有名になったため、スペンサーレプリカとして世に広まった。オリジナルは白地に頭頂部が赤、青ラインのトリコロールであるが1985年からの白地に頭頂部が紺、赤ラインのロスマンズカラー、1989年ヤマハ移籍時の白地に頭頂部が赤、黒ラインのマルボロカラーなどがある。2015年現在でも南海部品が最新モデルの帽体を同デザインに塗装したモデルを販売中である。
宗教上の理由から飲酒喫煙はせず、カフェインの摂取も忌避していたが、ドクターペッパーを愛飲していた[9]。全盛期となった1985年シーズンには、ヨーロッパ各国を巡る世界GP開催地に美しい婚約者サリー・ジョベール(1985年のミス・インターナショナルの準ミス)がずっと帯同していた(のち婚約解消)。
人物
フレディは敬虔なモルモン教徒である。1983年シーズン半ばにある雑誌のインタビューに次のように語っている。
「僕の走り自体は神にすべてコントロールされている。僕は神に守られているのだ。そこには恐怖心など何もない。ただ、ひたすら神を信じて走ればいいだけのことなのだ」(フレディ・スペンサー)
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