便座レース!
Touto Cho Short
Touto Cho
この2つのステージのトップを独走してやります
攻略していこうと思います!
楽しんでいきましょう!
なんという世界観
素晴らしき便座レースの世界!
今年は日本で初の高速推進型便器競技、便座レースが開催されてから100周年の節目の年であります。
我々協会は戦後の混乱の中から人々に勇気と希望を与えるスポーツとしての便座レースの普及に努めてまいりました。
以来、選手達の努力と便座レースを愛する皆様の熱意により便座レースは日本社会に広く浸透し、昨年は川谷浩一選手が日本人選手として初の世界グランプリ制覇という偉業を成し遂げました。
一方、若者による暴走やあおり行為等、便座による問題行動等が頻発し、便座マナーが改めて問われていると考えています。
2020年の東京オリンピックでは、世界中から日本の便座への注目が集まります。
便座レースを通じた世界平和への貢献、人間性の向上、青少年の育成を主眼に、世界中に感動を提供するための挑戦を続けてまいります。
■便器を浮上させる理論
最古の推進便器のアイディアがレオナルド・ダ・ヴィンチの手稿に見られる。
便意我慢時の上向きのエネルギーによって便座を浮上させるという、後のフンバルト理論に近いものが記されている。
■フンバルトエンジンの発明
1870年、ドイツ人技師ベン・フンバルトが便意を推進力とする画期的エンジンを開発。
推進機関のサイズにより、一号便座は直径5メートルと巨大なものになっていたが、改良を重ねることで小型化に成功し1875年には現在のサイズに近い移動便器が完成。
但しエネルギー効率は悪く、最高時速は思いっきり踏ん張っても15km/h程度だった。
■量産と普及
1880年にはドイツとフランスにおいて量産が開始される。
当時の自動車と比較して安価であったため広く普及したが、操作の難度が高く移動手段として定着したとは言い難い状況だった。
■第一回トイレットレース
1882年、フランスの便器見本市においてレースが開催された。
記録に残る最も古いレースである。
■便器の軍事利用
第二次世界大戦においてドイツ軍が後部タンクにMG34機関銃を搭載した突撃便器(Angriff Toilettensitz)を開発した。
強化された第二世代フンバルトエンジンにより最高時速70km/hを誇り、小回りの良さを活かし主に都市部での制圧作戦での運用が期待されていた。
被弾面積の小ささと単価の安さもあって参謀本部の中にはこの便座を主力とするよう献言したものもいた。
実戦投入されるものの操作性の悪さから足手まといとなり、殆どが撃破されている。
便座レースという呼称について
「便座レース」ではなく、「便器レース」なのではないのかというご指摘を頂く事があります。
確かに便座とは便器のパーツの1つ、座る部分の事です。みなさんが乗っているものも、法律上は「走行式便器」という名称で区分されています。
ではなぜ「便座レース」と呼ばれているのでしょうか。その由来は大正時代まで遡ります。
当時の日本の庶民には西洋式便器は一般的ではありませんでした。しかし、西洋から伝えられるトイレットレースへの憧れは強く、せめて雰囲気だけでもと、便座の部分だけを模したドーナツ状の木の板を尻に当てて徒競走を行なう催し物が各地で大流行しました。
これが自然と「便座競争」と呼ばれるようになり、今日の「便座レース」という呼称に至ります。
稲楠市では毎年秋に当時の形で競争を行う行事が行われ、プロ便座レーサーも参加しています。
ジャンプする際の水流について
なぜ便座レーサーはジャンプする際に水流で飛び上がるのか。それには不幸な事故が関係しています。1985年の稲楠サーキットにおいて、ある選手がジャンプの着地の衝撃で尻が便座にはまり、取れなくなるという痛ましい事故が起きました。選手は後遺症で常に便座を尻にはめたまま生活せざるをえなくなりました。その後便座カバーの改良が進み、ハマる事は減りましたが、尻への衝撃緩和を考えると、ジャンプに合わせて水流ジャンプをするのが安全とされています。
尚、路上でジャンプする際は電線などに当たらないように注意が必要です。
レーサー 事故 日本人 在 ガチョック Youtube 的精選貼文
便座レースの隠しキャラ
「Train」を発見しました!
なんという世界観
素晴らしき便座レースの世界!
今年は日本で初の高速推進型便器競技、便座レースが開催されてから100周年の節目の年であります。
我々協会は戦後の混乱の中から人々に勇気と希望を与えるスポーツとしての便座レースの普及に努めてまいりました。
以来、選手達の努力と便座レースを愛する皆様の熱意により便座レースは日本社会に広く浸透し、昨年は川谷浩一選手が日本人選手として初の世界グランプリ制覇という偉業を成し遂げました。
一方、若者による暴走やあおり行為等、便座による問題行動等が頻発し、便座マナーが改めて問われていると考えています。
2020年の東京オリンピックでは、世界中から日本の便座への注目が集まります。
便座レースを通じた世界平和への貢献、人間性の向上、青少年の育成を主眼に、世界中に感動を提供するための挑戦を続けてまいります。
■便器を浮上させる理論
最古の推進便器のアイディアがレオナルド・ダ・ヴィンチの手稿に見られる。
便意我慢時の上向きのエネルギーによって便座を浮上させるという、後のフンバルト理論に近いものが記されている。
■フンバルトエンジンの発明
1870年、ドイツ人技師ベン・フンバルトが便意を推進力とする画期的エンジンを開発。
推進機関のサイズにより、一号便座は直径5メートルと巨大なものになっていたが、改良を重ねることで小型化に成功し1875年には現在のサイズに近い移動便器が完成。
但しエネルギー効率は悪く、最高時速は思いっきり踏ん張っても15km/h程度だった。
■量産と普及
1880年にはドイツとフランスにおいて量産が開始される。
当時の自動車と比較して安価であったため広く普及したが、操作の難度が高く移動手段として定着したとは言い難い状況だった。
■第一回トイレットレース
1882年、フランスの便器見本市においてレースが開催された。
記録に残る最も古いレースである。
■便器の軍事利用
第二次世界大戦においてドイツ軍が後部タンクにMG34機関銃を搭載した突撃便器(Angriff Toilettensitz)を開発した。
強化された第二世代フンバルトエンジンにより最高時速70km/hを誇り、小回りの良さを活かし主に都市部での制圧作戦での運用が期待されていた。
被弾面積の小ささと単価の安さもあって参謀本部の中にはこの便座を主力とするよう献言したものもいた。
実戦投入されるものの操作性の悪さから足手まといとなり、殆どが撃破されている。
便座レースという呼称について
「便座レース」ではなく、「便器レース」なのではないのかというご指摘を頂く事があります。
確かに便座とは便器のパーツの1つ、座る部分の事です。みなさんが乗っているものも、法律上は「走行式便器」という名称で区分されています。
ではなぜ「便座レース」と呼ばれているのでしょうか。その由来は大正時代まで遡ります。
当時の日本の庶民には西洋式便器は一般的ではありませんでした。しかし、西洋から伝えられるトイレットレースへの憧れは強く、せめて雰囲気だけでもと、便座の部分だけを模したドーナツ状の木の板を尻に当てて徒競走を行なう催し物が各地で大流行しました。
これが自然と「便座競争」と呼ばれるようになり、今日の「便座レース」という呼称に至ります。
稲楠市では毎年秋に当時の形で競争を行う行事が行われ、プロ便座レーサーも参加しています。
ジャンプする際の水流について
なぜ便座レーサーはジャンプする際に水流で飛び上がるのか。それには不幸な事故が関係しています。1985年の稲楠サーキットにおいて、ある選手がジャンプの着地の衝撃で尻が便座にはまり、取れなくなるという痛ましい事故が起きました。選手は後遺症で常に便座を尻にはめたまま生活せざるをえなくなりました。その後便座カバーの改良が進み、ハマる事は減りましたが、尻への衝撃緩和を考えると、ジャンプに合わせて水流ジャンプをするのが安全とされています。
尚、路上でジャンプする際は電線などに当たらないように注意が必要です。