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▶︎目次
by DaiGo RooM 【切り抜き】
🔻タイムスタンプ🔻
0:00 はじめっ!同時に謝罪!
0:23 岡野弁護士の激論に関して
37:30 新しい会社始めました『ワイン🍷』
40:18 南アフリカのワインっておいしいですか?
40:25 既存の既得権益につぶされませんか?
40:50 西野さんとコラボしてください,切り抜き怖い
44:45 堀江さん喧嘩してますよね?
45:33 新刊の本について、どんな学びが得られる?
48:46 BTS知ってますか?
48:59 切り抜きchから
49:23 切り抜きchで思ったこと
51:06 弁護士の件、間違いは悪いことじゃなかった
54:25 立件が2000件ってのは本当ですか?
56:30 『またネット民が騒いでる』
59:09 18歳高卒、人生挽回できますか?
1:00:03 23歳公務員、独立するためにお勧めのスキル
1:00:41 『ネット民は甘くみないほうがいい』
1:01:44 おすすめのワイングラス
1:02:00 弁護士の件
1:02:19 テレビまた行く?
1:02:29 彼氏と月1で揉めてる、長期的な関係を望める?
1:03:21 交際期間が短く入籍するのは?
1:04:28 岡野先生は良い人
1:06:34 『ワインの魅力を広められるように頑張る』
1:07:29 運が良いのは強みになる?
1:07:46 反省してます
1:08:04 daigoさんファンから
1:08:35 服のボタン外れてるよ
1:08:45 気分が悪くなった切り抜き動画ある?
1:09:45 専門の先生の見抜き方
1:11:04 ひろゆきさんの切り抜き
1:11:34 質問が悪いと言われた、質問力を鍛えるには?
1:12:52 障害者が障害者向けのビジネスをやるのは?
1:13:25 アパートでできるHIITありますか?
1:13:45 付き合って長続きする人の特徴ある?
1:14:35 いろんな犯罪に巻き込まれる人の特徴
1:15:46 彼女から女性用風俗に行きたいと相談された
1:18:37 どうしたら怒らずに済む?
1:19:07 上司からの期待度が上がり、仕事量が増えた
1:20:31 自己愛性パーソナリティ障害の彼と今後どう向き合えば?
1:22:44 天井が♡っぽい
1:22:54 ネコ様はお留守番?
1:22:59 弁護士の件、謝罪「僕が間違ってました!」
1:25:02 ワイン近々放送します🍷
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【MotoGP 】フレディースペンサー NSR500
MOTOGPを語る上でフレディ・スペンサーはなくてはならない存在であり、フレディ・スペンサーを語るにはNSR500を避けることはできない。
それほどフレディ・スペンサーはMOTOGP界の伝説とも言うべきライダーであり、数々の栄光を手にした実力とその美しいフォームにしびれるファンも多く、1988年に鈴鹿サーキットでNSR500による引退記念走行を行うまで多くの人を魅了し続けた。
ただし、伝説の中には栄光とは対照的に挫折を余儀なくされる逸話も残っている。
また、NSR500はフレディー・スペシャルとも呼ばれ、今でもMOTOGP500ccクラスを代表する常勝マシンとして多くのファンの記憶に残っているだろう。
フレディースペンサーの説明文はWikipediaを引用しております。
クリエイターコモンズ(再利用)にて許可がされておりますのでご承知おき下さい。
★フレデリック・"フレディ"・バーデッド・スペンサー(Frederick "Freddie" Burdette Spencer, 1961年12月20日 - )は、アメリカ合衆国ルイジアナ州出身の元モーターサイクル・レーシングライダー。1983年にはロードレース世界選手権(WGP)500ccクラスで、史上最年少チャンピオン、1985年には同じくWGPの500cc、250cc両クラスでシリーズチャンピオンを獲得した。
世界グランプリ・フル参戦
1982年、ホンダ・ワークスから世界GPへのフル参戦を開始。同年からホンダはNR500(4ストロークエンジン)に代え、2ストローク3気筒エンジン搭載の新型マシンNS500を実戦投入しており、スペンサーはこの車両を駆って同年のスペインGPで初のPPを獲得[1]し、ベルギーGPで世界グランプリ初勝利を遂げる[1]。その後も1勝を挙げ、ランキング3位を獲得する。
1983年にはヤマハのケニー・ロバーツと、年間12戦のうち6勝ずつ分け合う激しい戦いを展開。最終第12戦サンマリノGPではケニーが優勝して対戦成績を五分に戻したが、獲得ポイントはスペンサーが2ポイント上回っており、500ccクラスのチャンピオンを獲得することになった。この時点でスペンサーは21歳8ヶ月であり、2013年にマルク・マルケスに破られるまでロードレース世界選手権の最高峰クラスにおけるシーズン制覇の最年少記録であった[2]。
1984年からホンダはV型4気筒エンジン搭載のNSR500を投入したが、車両の独創的レイアウトの影響によるトラブルが多く、スペンサーはシーズン5勝をあげるもランキングは4位にとどまり、エディ・ローソン(ヤマハ)にシーズンタイトルを奪われた。ちなみにスペンサーはこの年、NSR500とNS500をコースによって使い分けていた。
1985年シーズンは前年の成績を挽回すべく、WGP500cc、250ccの両クラスにダブルエントリー。500ccクラスでは全12戦中11戦に出走し7勝をマーク。250ccクラスでは全12戦中10戦に出走しやはり7勝を収め、両クラスとも最終戦を待たずして年間チャンピオンを確定。'70年代以前には同一年に複数のタイトルを獲得する例も多く見られたが、世界GPにおける「Wタイトル」はこの年のスペンサーが現在までのところ最後の記録である。また、500ccと250ccのWタイトルは世界GP史上スペンサーのみである。なお90年代後半にダブルエントリーが認められなくなったため、この記録を破ることは現在不可能。
右手首故障
シーズンオフには肉体改造を試み翌1986年の開幕戦・スペインGPに登場。予選ではポールポジションを獲得し、決勝レースもスタートからトップを独走した。しかしスペンサーはレース中に右腕に故障を発症してピットインし、そのままリタイア[3]。以後のレースでもリタイアが多く、スペンサーはシーズン途中で戦線を離脱し、結局1986年は獲得ポイントなしであった。
1987年、復活をかけたデイトナのスーパーバイクレースにおいてVFR750を駆り予選最速タイムを叩きだすが、前走車の転倒に乗り上げてしまい転倒骨折、本戦には進めなかった。[4]世界GPの開幕戦・鈴鹿(日本GP)では予選初日の第1回目セッションを5周しただけで手首の状態が良くない事を理由にエントリーを取り消し。スペンサーがレースに戻ったのはシーズン中盤戦以降であった。ポイント獲得はスウェーデンGPでの7位完走・4ポイント獲得の1回のみであり、ランキングは500ccクラス20位であった。
1988年にはスペンサーに対するロスマンズのスポンサードが復活し世界GPにフル参戦する予定だったが、オーストラリアでの開幕前テスト走行でやはり右手首の腱鞘炎の痛みが消えていない事が確認され、3月16日に現役引退を発表。開幕戦・日本GPの会場である鈴鹿サーキットを、ゼッケン19をつけたロスマンズカラーの最新型NSR500で1周ゆっくりと手を振りながら引退記念走行を行った。
カムバック
約1年後、スペンサーは手首の手術を行った結果、状態はほぼ万全に近くなったとして引退を撤回。1989年にはジャコモ・アゴスチーニ率いるマールボロ・ヤマハチームに加入し、YZR500で世界GPに参戦した。しかし思わしい結果は出なかったため、シーズン途中でチームを去ることになった。帰国後には背中の手術もしている。1992年当時、フレディの腕の不調の原因は白蝋病、と言われていた[5]。
1990年のデイトナではVFR750Rでスポット参戦。翌1991年、1992年とAMAスーパーバイク全戦に参戦し1991年に1勝、1992年に1勝を挙げた。1992年のホンダの勝利は彼だけだった。
1992年には日本の鈴鹿8耐にミスタードーナツホンダRVFで参戦。最新ワークスマシンではなかったにもかかわらず予選3位と驚異的なタイムを記録、決勝は転倒を喫しながらも4位で完走した。その後、かつてのパートナーだったアーヴ・カネモトの協力で、南アフリカGPの数日後にキャラミでNSRをテストする機会を与えられ、ここでも好タイムをマークした。
1993年にはヤマハ・モーターフランスチームから世界GP500ccに参戦するも、やはり好結果を残すことは出来ず、同年をもって世界GPからは完全に引退した。
1995年にAMAスーパーバイクレースにドゥカティから参戦し、ラグナセカで優勝。1996年に二度目の引退を発表し、以降はレースへの参戦は無い。
近況では、アメリカのラスベガスでバイクのライディングスクールを経営していたが、世界不況の煽りを受け現在は休業している。2008年には鈴鹿8時間耐久レースの特別イベントとして、かつて1985年にWGPチャンピオンを取ったマシンNSR500でデモラン走行を行い8耐に来た観衆を大いに沸かせた。
フレディー・スペシャル
スペンサーが直接開発に携わった1984年〜1986年型NSR500は、当初ワークス系チーム内でもスペンサーにのみ与えられており、"フレディー・スペシャル"と呼ばれた。
なお、1986年シーズンはチームメイトのワイン・ガードナーもNSR500でレースに出走。以後はNSR500がワークスライダーとサテライトチームに供給されている。
特徴
バイクを長い手足(身長178cm)の下で自在に操り、コーナー終盤の立ち上がり加速を重視するライディング・スタイルが特徴とされる。ファーストラップから驚異的なタイムでライバルを引き離し、2位以下に大差をつけての独走優勝というレース展開が多かった。アメリカ国内で走っていた時代には既に、第1周回から圧倒的なラップタイムで他を引き離す走りで知られており、“ファスト(速い)・フレディー(Fast Freddie)”と呼ばれた。
スペンサーの走法は、キャンバーアングル(バンク角)の変化によるマシンの向き変えが異様に鋭く、ダートトラックレースの走法であるパワースライドを用いて両輪差を駆使し、定常円旋回している時間が極端に短いのが特徴だった。また他のライダーに比して高回転域まで使用することでも知られた。
1983年のフレディについて、おなじNS500を操るチームメイトだった片山敬済と片山のチーフ・メカニックを務めていた杉原真一は次のように語っている。「フレディの膝の動きはバランサーだ。別に路面がデコボコしているわけじゃないのによく動く、バランサーだな」(片山敬済)[6]。「フレディはわりとすべっても平気だよ。よく感知できないっていうか。エッ!! すべってたの、ってカンジだ」(杉原真一)[7]。また、片山は、フレディが自己流なライディングをしていると言われていることに対して、「フレディは、タイヤがすべっていることはよくわかっているよ。ちゃんとコントロールしているんだよね」(片山敬済)と話している[8]。
アメリカ時代から日本のアライヘルメットを愛用しており、レプリカモデルのヘルメットがファンの人気を集めた。このデザインは元々USホンダのオリジナルであったがスペンサーはそのヘルメットのまま世界GPに出場し有名になったため、スペンサーレプリカとして世に広まった。オリジナルは白地に頭頂部が赤、青ラインのトリコロールであるが1985年からの白地に頭頂部が紺、赤ラインのロスマンズカラー、1989年ヤマハ移籍時の白地に頭頂部が赤、黒ラインのマルボロカラーなどがある。2015年現在でも南海部品が最新モデルの帽体を同デザインに塗装したモデルを販売中である。
宗教上の理由から飲酒喫煙はせず、カフェインの摂取も忌避していたが、ドクターペッパーを愛飲していた[9]。全盛期となった1985年シーズンには、ヨーロッパ各国を巡る世界GP開催地に美しい婚約者サリー・ジョベール(1985年のミス・インターナショナルの準ミス)がずっと帯同していた(のち婚約解消)。
人物
フレディは敬虔なモルモン教徒である。1983年シーズン半ばにある雑誌のインタビューに次のように語っている。
「僕の走り自体は神にすべてコントロールされている。僕は神に守られているのだ。そこには恐怖心など何もない。ただ、ひたすら神を信じて走ればいいだけのことなのだ」(フレディ・スペンサー)
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