アレッサンドロ・デル・ピエロ(Alessandro Del Piero, 1974年11月9日 - )は、イタリア・ヴェネト州トレヴィーゾ県コネリアーノ出身の元サッカー選手、イタリア代表。ポジションはフォワード。
1991から92シーズンにセリエB(当時)のカルチョ・パドヴァでキャリアをスタート。
1993-94シーズン、セリエA のユヴェントスに移籍。翌シーズンからロベルト・バッジョの不調により出場機会が増加。リーグ優勝に貢献した。
1995-96シーズン、バッジョがACミランに移籍したことで空いた背番号10を引き継いだ。チャンピオンズリーグとトヨタカップ(クラブワールドカップの前身)を制覇し、ミシェル・プラティニ、バッジョが背負った番号にふさわしい活躍を見せた。
1997-98シーズン、フィリッポ・インザーギとジネディーヌ・ジダンが加入。3人で4312の前線を形成する夢のトライアングルとなった。リーグ連覇を果たし、自身も21ゴール、チャンピオンズリーグ得点王(10ゴール)も獲得した。
1998年11月、左膝十字靭帯断裂の重傷を負い、9か月のリハビリ生活を送る。その後も小さな故障を重ねるが、そのたびに克服してはゴールを量産した。
2005-06シーズン、当時のファビオ・カペッロ監督は、前年に加入したイブラヒモヴィッチをエースに据えて、デル・ピエロをサブに置いた。スーパーサブとしてデルピエロはリーグ12得点をあげ、イブラヒモヴィッチは7得点にとどまった。
2006年、カルチョ・スキャンダルによってユベントスがセリエB(2部)降格。イブラヒモヴィッチら多くの主力が離れるが、デル・ピエロとブッフォン、そしてネドベドは忠誠を誓い残留した。超スター選手が2部でプレーする異常事態の中、デル・ピエロは当然のように得点王となり1部昇格の原動力となった。
2008-09シーズン、チャンピオンズリーグでレアル・マドリードと対戦。グループリーグ2度の対決で3発のゴラッソを流し込んで見せた。
2011-12シーズン、ユヴェントスを退団し、オーストラリアのシドニーFCに移籍。2014年、インドのデリー・ディナモスFCに移籍。その後は退団し、表明こそしていないが実質引退状態となっている。
イタリア代表デビューは、1995年3月25日のエストニア戦。代表通算27得点は、バッジョと並んで歴代4位タイ。
プレースタイルのかぶるバッジョやトッティの影となり、ユーロやワールドカップ本大会で主役となることはなかった。
2002年日韓ワールドカップ、グループリーグのメキシコ戦で途中出場し、自身の大会初ゴールを決める。右手の人差し指で天を指すパフォーマンスを見せ、開幕前に亡くなった父に捧げた。( 5:02 )
2006年ドイツ大会では、準決勝ドイツ戦の延長戦から途中出場。終了間際にアルベルト・ジラルディーノからのパスを受け、これぞ「デル・ピエロ・ゾーン」という美しい一撃を決めた。( 4:04 )決勝でもPKを決め、イタリア4度目のワールドカップ優勝に貢献した。
Music Alex Skrindo - jumbo / Altro Galactic Eye - Away / Ennio Marak - Farewell.
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