【今日の記事は特別編‼️鴨頭嘉人の過去を語ります。️】
コンプレックスは、武器になる‼️
コンプレックスに悩んでいるすべての方に伝えたいです。
「コンプレックスなくして、輝ける人なんていない!」と。
今日は僕の新刊『コンプレックス・リベンジ』の販売日です💓
発売を記念して、本の内容からごくごく一部を公開します(≧∇≦)❤️
今まで講演会やYouTubeではあまり語ることのなかった内容なので、是非お楽しみください!!
本題に入る前に、お知らせです*\(^o^)/*
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【話し方の学校】の入学体験講座を開催しますっ*\(^o^)/*💓
リアル参加が難しい方はZoom参加もできますので、ぜひご参加くださいっ♪
6月19日(土)11:00〜13:00(大阪)
7月15日(木)19:00〜21:00(大阪)
7月17日(土)14:00〜16:00(博多)
(※申し込みリンクはこちら→)https://hanashikata-school.com/try/
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【ビジネスYouTuberの学校】の入学体験講座を開催しますっ*\(^o^)/*💓
リアル参加が難しい方はZoom参加もできますので、ぜひご参加くださいっ♪
6月30日(水)18:00〜20:00(東京)
(※申し込みリンクはこちら→)https://kamogashira.com/businessyoutuber/
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7月10日 (土)、11日 (日)の2日間で
【鴨頭嘉人のビジネス実践塾2days】を開催しますっ*\(^o^)/*❤️
鴨頭嘉人が10年間で培ったビジネスマインドとノウハウをぎゅぎゅっと凝縮して2日間で学べるというセミナーです❤️
詳しくは下記リンクからチェックしてみてください*\(^o^)/*💕
(※こちら→)https://kamogashira.com/business2days/
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いよいよ本日‼️‼️
6月17日(木)に新刊が出ます❣️
『コンプレックスリベンジ』~僕はいじめられっ子だった~
(※こちら→)https://amzn.to/3cGzLLo
コンプレックスを抱えている方や、自分の欠点が邪魔をして人生がうまくいかない方に向けての「勇気」の湧く自己啓発本になっています💓
ぜひ、各書店さんで手に取ってみてください(≧∇≦)💕
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▼引越し当日は沖縄返還の日
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施政権がアメリカ合衆国から日本国に返還された当時の沖縄は、車は右側通行で、通貨は円とドルが混ざっていました。
荒れ果てた街は水道も整備されていなかったので断水は日常茶飯事。
消防所から水をもらわないとトイレを流したり、お風呂に入ったりする水がないような状況でした。
そんな貧しい状況で、戦後初めて沖縄に作られた豊見城団地での生活が始まりました。
幼稚園に通い始めた初日、僕は名前ではなく「ヤマトンチュ」と呼ばれ、殴る蹴るの暴行を受けました。
「ヤマトンチュ」とは、本土の人間という意味です。つまり、「ここにいるべき人間ではない」と周囲から総攻撃を受けました。
当時貧困の中の沖縄の住民はボロボロのTシャツと擦り切れた靴しか持っていませんでした。
そこに、襟つきのシャツにお洒落なズボン、靴下と新品の靴を履いた僕の姿を見て許せなかったのでしょう。
毎日ボコボコに殴られて、自転車に乗ってる姿を見られると殴る蹴るの暴行を受けて、自転車は奪い取られて家の車は2年半の間に5回盗まれました。
小学校に上がる頃にはさらにエスカレートしていきました。
平和な日常も、もちろんあったと思うのですが、僕の記憶に残っているのは殴られ続けて物を奪いとられたことだけ。
沖縄での2年半は、恐怖の記憶しかありませんでした。
小学校の授業が終わると、同じ学校に通う兄貴が「嘉人、帰るぞ」と教室まで迎えに来てくれました。
でも、「外に出たらやられるんだ」と言って、ずっとうずくまっていた光景を今でもうっすらと覚えています。
こんなこともありました。
体育館の裏で5, 6人に囲まれて、「股裂きの刑だ!」と言って、足を両方から引っ張ります。
「やめて!」といくら言っても、やめてくれない。
股から血が出始めて、僕は泣き叫び、先生が慌てて駆け寄ってきました。
しかし、先生は見て見ぬふりをしてそっとその場から去っていったのです。
「そうか、ここには僕を助けてくれる大人は誰もいないんだ。」
痛みを感じながら、虚しさが押し寄せてきたことを覚えています。
僕のことを助けてくれるのは、兄貴だけでした。
僕がいじめられている時兄貴がたまたま居合わせてくれたら、いじめっ子たちを兄貴が蹴散らしてくれました。
だから、ずっと兄貴から離れられなかった。
ずっと兄貴の金魚のフンのようについていました。
でも、兄貴がそばにいない時「お前、兄ちゃんに金魚のフンみたいにくっついて本当に意気地のないやつだな!」とボコボコに殴られる…その繰り返しでした。
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▼家族にも打ち明けられなかった、鴨頭少年
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そんな中でも家に帰ったら僕は明るく振る舞っていました。
「親父とお袋にはいじめられていることを知られたくない」と思っていたからです。
いつもおどけていました。
ものまねをしたり、ふざけたり、とにかく両親を笑わせていました。
すると、お袋は僕に言います。
「ほんとにあんたは面白い子ね」と。
お袋は僕に気を遣って言ったのか、ほんとにそう思っていたのか分からないです。
でも「あんたは面白い子ね」って言われると、「自分はここにいてもいいんだ」って思えたんです。
親父が8ミリカメラを買ってきた時、カメラを回すと兄貴はかっこつけるけど僕はいつもおどけていました。
親父とお袋が笑ってくれる姿を見たかったからです。
毎日学校で殴られ続け、辛い思い出しかない沖縄ですが、驚くことに当時の写真を見ても僕は満面の笑顔で写っています。
両親が笑っている姿を見て「あーこれでいいんだ」って自分に言い聞かせていました。
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▼体に起こった異変
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そんな僕の体に異変が起こり始めました。ある日学校に行ったら声が出なくなってしまったんです。
ずっと塞いだまま、何もしゃべらず、授業中に発言を求められても、何も言わない。
喋ろうとするそぶりは見せても、声を発しない僕の姿を見て、さすがに心配したのか「鴨頭君大丈夫なの?」と休み時間に先生に声をかけられました。
でも、声が出ないのです。
いわゆる失声症でした。
そして、僕は小さい頃から体が弱く、週に2, 3回は熱を出していました。
あまりに頻繁に体調を崩し、特にひどいときには「僕はこのまま死んじゃうの?」と不安な気持ちをお袋にこぼしていました。
今考えると体が弱いことももちろんですが、ここまで頻繁に体調を崩すのは心が弱かったことが原因なのではないかとも思います。
僕の3歳年上の兄貴はスポーツ万能。小さい頃から野球好きの親父からスパルタ英才教育を受けていました。
小学校の時から兄貴は晩御飯の前に3キロのランニングが課せられていました。
いつも兄貴にくっついていて兄貴と同じことをやりたかった僕はランニングについていこうとしました。
でも体力的にも精神的にも強くなかったから走れないのです。
そのたびに、あーやっぱり僕はダメなんだ。
また迷惑をかけていると自分で自分を卑下していました。
親父と兄貴がキャッチボールをする時も「嘉人も行くか?」と誘われはするものの、「今日はお腹が痛いから」と仮病を使うようになりました。
本当は一緒にやりたいのに野球が下手な自分が嫌になり、2人の邪魔をしてはいけないと思うようになったのです。
そして「お腹が痛い」と言い続けると、本当にお腹が痛くなるようになりました。
「僕は体も弱いんだ。僕はやっぱりダメなんだ。」と、自己肯定感もどんどん低くなっていきました。
そして「僕なんかは生まれてこなければよかったんだ」
僕はだんだんと心をふさぎ込むようになりました。
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▼布団の中のスーパーヒーロー
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幸せを感じることができるのは、布団の中にいる時だけ。
僕はいつしか、”布団ワーク”と名付けた妄想ゲームを毎日繰り返していました。
学校から帰ってくると、布団の中に潜り込みます。
そして、生まれ変わった自分を想像するのです。
いじめられている子を見ると、「やめろよ」と言っていじめっ子たちを蹴散らし、弱い人を守ってあげる。
運動会ではリレーの選手になって、みんなに「頑張れ!」って応援されてみんなから頼りにされている。
たくさんの友達に囲まれていて、笑顔で、はつらつと毎日明るく過ごしている布団の中の僕は、スーパーヒーロー鴨頭嘉人なのです。
でも現実の僕は毎日いじめられて本当はクラスメートに「友達になって」って言いたいのに言葉を発することすらできない。
理想と現実の大きすぎるギャップを感じながら沖縄に引っ越してきた2年半。
1人も友達を作ることができませんでした。
この沖縄でいじめられた経験こそ、その後の僕の人生を決定づける原点のようなものだった気がします。
この時感じたコンプレックス、弱い自分、そしてそれを打ち消すために毎日やっていた”布団ワーク”それが今の鴨頭嘉人をつくりだしたのだと思います。
僕がひどいいじめを受けていた時に感じていた違和感は、思っていることを言葉にしなかったから起こったものでした。
勇気を持って言葉にすれば人生が切り開けることがわかりました。
そしてネガティブは悪い事ではない、ネガティブは強さだと思うことで勇気が沸き起こってくることもわかりました。
振り返ってみて気づいたことがあります。
沖縄時代にずっと繰り返していた”布団ワーク”あの布団の中で思い描いていたスーパーヒーローは、まさに今の鴨頭嘉人です。
「鴨さんと一緒にいれば大丈夫だ」そう言われる人間になりたかった。
僕の中でのスーパーヒーローの定義は弱い人を守れる人なんです。
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▼鴨頭嘉人の原点
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独立してから始めたハッピーマイレージという活動は、サービス業で働く人を輝かせるためのものです。
サービス業で働く人たちは世の中では弱い人と見られてしまうことがあります。
アメリカでは低い地位、低賃金、単調、重労働の職種を卑しめて”マックジョブ”という言葉があり、特にファーストフード店での仕事は独創性がなく機械的な動作を繰り返すだけと揶揄されています。
でも、僕は自分の土台となり働き方の原点ともいえるマクドナルドの仕事を誇りに思っています。
これだけ素晴らしい仕事はないと思っているのに、認められない。
それどころか価値のない仕事だと批判めいたことを言われてしまう。
その現状に納得がいきませんでした。
だから、サービス業で働く人の価値を、世の中全ての人たちが認知できる社会を作りたい!
そのためにハッピーマイレージの活動を始めました。
講演家とは、心が弱くなっている人に勇気を与えるメッセージを届ける仕事です。
講演で僕が話した内容は僕の成功体験から来る自慢話ではありません。
度重なる失敗から学んだこと、その時救いの手を差し出してくれた方の温かさ、挫折を乗り越えた先に見えてきたものをお伝えします。
くじけそうになっている方々に「かつての僕もそうだった。でも大丈夫。きっとうまくいく」と勇気を持って一歩踏み出すサポートをする役割を担っています。
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▼子どもの頃に憧れた、自分になっていた
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僕は今、”鴨Biz”と言うビジネスを学ぶためのオンラインサロンを運営しています。
そこでこんなことを言っていただけるようになりました。
「新しく会社を立ち上げます。社名を鴨さんに付けてもらえば、絶対にうまくいくので、名前を決めてもらえませんか?」
「新しくビジネスを立ち上げることを決断できました。
どういうお客様に売って、どういう価格設定にするかはここで学んで何とか組み立てることができるようになりました。あと1つ足りないのは勇気だけなんです。
鴨さん『お前なら大丈夫』と私に言ってもらえませんか?」
みんな最後は僕の言葉があれば大丈夫だって思ってくれているのです。
誰か困ってる人がいたら声をかけてあげられる、落ち込んでいる人がいたら勇気づけてあげられる、まさに今の僕の原点は、あの布団の中でイメージしていた僕です。
実は幼少期の頃に僕の中での人生の理想像は出来上がっていたのです。
度重なる失敗と挫折を経験して、たくさんの助けがあって乗り越えていきました。
歳を重ね経験を積み重ねるにつれて僕は小さいときの自分に戻っていってることに気が付きました。
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▼この本を届けたい人
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『コンプレックス・リベンジ ~僕はいじめられっ子だった』のごくごく一部を紹介させて頂きました‼️
僕は講演会では比較的、マクドナルドの体験談であったり、独立してからの自分の経験談を中心に話をさせていただいているので、自分の子供の頃の話はあまり講演家としては話すことがなかったんです。
『コンプレックス・リベンジ』は、自分のことが大嫌いだった鴨頭嘉人がどうやってそれを受け入れていったかが記されています。
この本は、過去の辛かった自分と同じ思いを持っている人に届けたくて書きました。
今コンプレックスを抱えて苦しんでいる人や、自分に自信が持てない方、そして「もう生きてて楽しくない、辛い」って思ってしまっている人がもしいたら、本当に読んでほしいです。
『コンプレックス・リベンジ』は本日6月17日に全国の書店に並びます。
もちろん、まだまだ僕は著名な著者じゃないので地方の書店ではもしかしたら、取り扱ってない所もあるかもしれません。
しかし、もしよければ書店に足を運んでいただけると嬉しいです。
書店員さんもサービス業であり、書店員さんも夢を持って本の素晴らしさを伝えたいと思って開業された方ばかりだと思います。
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▼書店も守れるスーパーヒーロー
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オンライン化が進む中、全国の書店は大変だと思うんです。
オンライン化されると手軽に本も手に入りますがやっぱり、書店ではアマゾンのおすすめ機能では表示されないすごい出会いがあります。
それが書店の良さ、本の良さです。
だから、よかったら本屋さんでご購入いただけると嬉しいです。
もし本屋さんに在庫がない場合は書店で予約をしていただくと、ほとんどの書店で取り寄せてくれると思います!
ぜひぜひ『コンプレックス・リベンジ』をお近くの書店でお手に取っていただけるとうれしいです(≧∇≦)💓
今回は、本日発売を記念して『コンプレックス・リベンジ』の一部を紹介させていただきました‼️
また明日からは、皆さんの日常の何か気づきやヒント生きる勇気になるようなエピソードやロジックをお伝えしていきたいと思いますので、これからもよろしくお願いします*\(^o^)/*💕💕
それでは今日という最高の一日に、、、
せーのっ!いいねー❤️
ばいばい💕
▼Voicyというラジオを使って、毎朝7時頃に10分間の音声を発信しています*\(^o^)/*
まだ聴いたことがない方は、ぜひ聴いてみてほしいです❤️
(※こちら→)https://voicy.jp/channel/1545
▼僕のVoicyチャンネルでは「〇〇さん大好き❤️」と鴨頭嘉人に肉声で言ってもらえる個人スポンサーを毎日一名募集しています*\(^o^)/*
(※こちら→)https://kamojapan.thebase.in/items/41401204
▼実は…鴨頭嘉人のオンラインサロン「チームカモガシラジャパン」限定の社内報Voicyを始めました💓
「何それ気になる!」「鴨頭嘉人ともっとつながりたい!」という方は、ぜひ一度 鴨頭嘉人のオンラインサロン「チームカモガシラジャパン」を覗いてみてください❤️
(※こちら→) https://kamogashira.com/onlinesalon/
▼鴨頭嘉人の公式LINE(最新情報が毎日届く)の登録はもう済んでますか??
(※こちら→) https://kamogashira.com/kamoline/
同時也有1部Youtube影片,追蹤數超過272萬的網紅東海オンエアの控え室,也在其Youtube影片中提到,お母さんがご飯を作ってくれていた頃は、こちらサイドの好き嫌いなどをほとんど忖度せずにメニューを決めてくれるので、色々なものを食べられていました。 「今日のご飯なに〜?」「ん〜、なんか鶏肉の煮たヤツ」「(チッ、今日はハズレか…)」というやりとりを皆さんもしたことがあると思います。そのときは、「鶏肉の煮...
今日の晩御飯 決めてくれる 在 醫師。娘(隔壁張太、兔) Facebook 的精選貼文
很久沒有分享文章了
和大家分享我的日本地獄研修醫生活:第一章 😘
日本では研修医が主治医(我的日本研修醫師生活1之 在日本 研修醫就是主治醫篇)
8月1號開始,醫院即將迎來閃亮亮的新人們。今年北醫小兒科會有兩位新進住院醫師加入,不禁讓我回想我的研修醫生涯,是從2001的春天開始,至今已經是19年前的事情了⋯⋯ 雖然已經過了這麼長的時間,但那段時光好像昨天才發生一樣映在我腦海裡。現今日本醫療界研修醫師的工作環境跟我當時已經大不相同,與北醫小兒科訓練的環境比起來,我的受訓生涯可謂之地獄吧?不過卻是相當充實而且想起來還挺有趣的地獄呢!
8月1日から、病院に新しいピカピカの研修医1年目の先生がやってきた。わが北医小児科にも今年は二人の新人が新たに加入した。そう考えると、私が研修医を始めた2001年から、もう今年で19年目になります…、いや、本当に時は矢の如し、あっという間の19年間です。それでも、大学病院の研修生活は昨日のように覚えている。今の日本の研修状況はだいぶ変わっていると思うが、それでも今の北医小児科の研修環境と比べると、私たちの研修医生活は本当に地獄???のようなものでした。それでも充実していて、楽しかったと今振り返ってみてそう思います。
一日之計在於抽晨血
病房的早上從7點半開始,跟台灣不太一樣的地方是,所有的抽血都是研修醫師的工作,點滴針頭放置當然也是。抽晨血必須要在一個小時內完成,因為八點半檢驗室一開門,大家就會聚集在門前(不經傳送)直接把手上的檢體奉上並說「麻煩您快點(檢驗後上傳報告)」。之所以這麼焦急,是因為九點半的時候資深教學主治醫師就會開始回診,在那之前所有的檢驗報告必須都要完成。而且向師長報告還有一個潛規則就是,病歷是要攤開面向師長,報告者必須「默背」報告的內容。當然包括檢驗的數值(要暗記至小數點後一位是弊科的傳統),如果沒有達成,就等著被師長們電到在天上飛下不來,因為「研修醫就是主治醫師,病人生命的責任是在你手上,所以記住他們所有的檢驗報告數值是最基本的吧!?」by 師長。人有時候難免有手氣不順的時候,這時候前輩給予的貼心建議就是「7:30來不及一小時內抽完,你可以提早兩個小時前來上班啊~」但也發生過對自己極度沒自信的同儕凌晨就摸來醫院把病童搖起來要抽血,惹的病童家長起床氣破口大罵的事件。為了避免被罵,大家都拼了命練習抽血的技術,因此我回來台灣服務常常被護理師們稱讚很會抽血,都是拜研修醫師一生懸命地練習所賜啊!和台灣類似的是,抽血手感不順的時候,我們也是會有兩抽不中就換人抽的習慣,因此同期夥伴們的革命情感就是在這樣互相搭手協助上慢慢建立茁壯起來。
朝は採血から
病棟には7時30分に着き、まずは採血から1日が始まる。台湾と違って、採血は全て研修医の仕事である。あと、点滴作りも研修医の責任(点滴を繋げるのは看護師でしたが)。採血を一時間以内に済ませ、8:30には検査室が開けると同時に検査技師に検体を手渡し、“至急お願いしますと伝える”。なぜなら、9:30に上級医の回診があり、それまでにデーターが出てないと怒られるからである。その回診にもルールがあり、まずは昨日の経過と今日のデータを報告する、その報告もカルテを見ずに行うのが決まりで、上級医曰く、“君は主治医だろう、命を扱っているのだから、そのくらいのデータは覚えておけ”とのことです。ちなみに小数点下1桁まで覚えるのが決まりでした。そうなると、もし採血に手こずり、間に合わないならどうなるかというと、そこは決まって“**君さぁ、採血に自信がなかったら、もっと早く病院に来なさいよ”。翌日は7時にくるように…っとなります。ただ、それであまりにも早く来すぎて、患者さんに怒られた研修医がいたのを僕は記憶している。そうならないように、採血にはとにかく練習しまくったのを覚えております。そのおかげで、台湾に戻った後も、よくうちのNPに、張先生は採血上手いねって褒めらた。ただ、それでもどうしても調子が悪いとき、つまりスランプというのがあります。その時は研修医同士で助け合い、手を替わって採血したのを記憶している。そうやって、ドラマのように研修医の絆が築かれていったのかもしれない。
半夜門口集合
研修醫師的一天,在忙完抽血、報告、安排檢查及各種處置之後,能坐下來開始寫病歷大概都是下午五點之後。但這個時間還有一個傍晚的會議evening conference,通常是從六點開始一直到晚上九點,因為醫師不算在勞基法適用範圍,不像一般上班族那樣,沒有違法的問題。餓著肚子開會也是常態,熬到會議結束、完成當天的病歷、把隔天晨血的管子貼好姓名貼,差不多也接近半夜十二點了,這才是真正一天的結束。通常隨著時間靠近半夜,醫師休息室會慢慢聚集這些行屍走肉般的研修醫師們。幾乎不用說出口,大家都有「12點醫院門口集合」的默契,一起吃飯遲來的晚餐跟喝酒。彼此各自回到家中都差不多凌晨兩點了,在電視背景音下隨便沖個澡,往往忘記關燈關電視就昏睡在床上,然後隔一天早上六點多又要起床準備下一個研修醫師的一日⋯⋯ 像這樣的日子我整整過了兩年,如果是現在的住院醫師們,應該一個禮拜以後我就會在辦公桌上看到他們的辭呈了吧(笑) 不過請各位住院醫師安心,現在你們有勞基法在背後堅強地支持著!!
12時に玄関集合
そんな研修医の一日も午後は大体、検査など処置で終わってしまい、ようやくカルテを書き始めるのが、5時過ぎ夕方である。ときに夕方のカンファレンスというのがあって、6時から9時という普通の会社では考えられない時間帯で行われる(医師は労働基準法適応外なので)。もちろん、空腹のまま会議は行われる(日本人医師はみな家帰ってご飯を食べる習慣、あまりにも長時間病院にいるから、その償いなのかなぁと当時は思っていたが)。9時にカンファレンスが終了し、カルテを書き、翌日のオーダーをして、採血管にラベルを貼って、ようやく一日の仕事が終了。大体その時刻が12時である。医師部屋に戻ると研修医の皆がその日の仕事を終え、続々と集まって、そこで決まって病院玄関集合ねって、遅い晩御飯(飲みも兼ねて)を食べに行く。帰宅はいつも2時前で、帰ってテレビをつけると決まって、普通の番組が終了して、テレビショッピングしか流されてない。それをバックにシャワー浴びて、就寝。翌日6時起きという生活を僕は2年間、ほぼ休まずに続けた。そんな生活を今の北医の研修医達はどう思うのだろうか?多分、一週間後に僕は彼らの辞表を受け取るのかな…。
大丈夫よ、もう君達は労働基準法という後ろ盾がありますよ!!
今日の晩御飯 決めてくれる 在 張璽醫師-小兒神經 Facebook 的最佳解答
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8月1號開始,醫院即將迎來閃亮亮的新人們。今年北醫小兒科會有兩位新進住院醫師加入,不禁讓我回想我的研修醫生涯,是從2001的春天開始,至今已經是19年前的事情了⋯⋯ 雖然已經過了這麼長的時間,但那段時光好像昨天才發生一樣映在我腦海裡。現今日本醫療界研修醫師的工作環境跟我當時已經大不相同,與北醫小兒科訓練的環境比起來,我的受訓生涯可謂之地獄吧?不過卻是相當充實而且想起來還挺有趣的地獄呢!
8月1日から、病院に新しいピカピカの研修医1年目の先生がやってきた。わが北医小児科にも今年は二人の新人が新たに加入した。そう考えると、私が研修医を始めた2001年から、もう今年で19年目になります…、いや、本当に時は矢の如し、あっという間の19年間です。それでも、大学病院の研修生活は昨日のように覚えている。今の日本の研修状況はだいぶ変わっていると思うが、それでも今の北医小児科の研修環境と比べると、私たちの研修医生活は本当に地獄???のようなものでした。それでも充実していて、楽しかったと今振り返ってみてそう思います。
一日之計在於抽晨血
病房的早上從7點半開始,跟台灣不太一樣的地方是,所有的抽血都是研修醫師的工作,點滴針頭放置當然也是。抽晨血必須要在一個小時內完成,因為八點半檢驗室一開門,大家就會聚集在門前(不經傳送)直接把手上的檢體奉上並說「麻煩您快點(檢驗後上傳報告)」。之所以這麼焦急,是因為九點半的時候資深教學主治醫師就會開始回診,在那之前所有的檢驗報告必須都要完成。而且向師長報告還有一個潛規則就是,病歷是要攤開面向師長,報告者必須「默背」報告的內容。當然包括檢驗的數值(要暗記至小數點後一位是弊科的傳統),如果沒有達成,就等著被師長們電到在天上飛下不來,因為「研修醫就是主治醫師,病人生命的責任是在你手上,所以記住他們所有的檢驗報告數值是最基本的吧!?」by 師長。人有時候難免有手氣不順的時候,這時候前輩給予的貼心建議就是「7:30來不及一小時內抽完,你可以提早兩個小時前來上班啊~」但也發生過對自己極度沒自信的同儕凌晨就摸來醫院把病童搖起來要抽血,惹的病童家長起床氣破口大罵的事件。為了避免被罵,大家都拼了命練習抽血的技術,因此我回來台灣服務常常被護理師們稱讚很會抽血,都是拜研修醫師一生懸命地練習所賜啊!和台灣類似的是,抽血手感不順的時候,我們也是會有兩抽不中就換人抽的習慣,因此同期夥伴們的革命情感就是在這樣互相搭手協助上慢慢建立茁壯起來。
朝は採血から
病棟には7時30分に着き、まずは採血から1日が始まる。台湾と違って、採血は全て研修医の仕事である。あと、点滴作りも研修医の責任(点滴を繋げるのは看護師でしたが)。採血を一時間以内に済ませ、8:30には検査室が開けると同時に検査技師に検体を手渡し、“至急お願いしますと伝える”。なぜなら、9:30に上級医の回診があり、それまでにデーターが出てないと怒られるからである。その回診にもルールがあり、まずは昨日の経過と今日のデータを報告する、その報告もカルテを見ずに行うのが決まりで、上級医曰く、“君は主治医だろう、命を扱っているのだから、そのくらいのデータは覚えておけ”とのことです。ちなみに小数点下1桁まで覚えるのが決まりでした。そうなると、もし採血に手こずり、間に合わないならどうなるかというと、そこは決まって“**君さぁ、採血に自信がなかったら、もっと早く病院に来なさいよ”。翌日は7時にくるように…っとなります。ただ、それであまりにも早く来すぎて、患者さんに怒られた研修医がいたのを僕は記憶している。そうならないように、採血にはとにかく練習しまくったのを覚えております。そのおかげで、台湾に戻った後も、よくうちのNPに、張先生は採血上手いねって褒めらた。ただ、それでもどうしても調子が悪いとき、つまりスランプというのがあります。その時は研修医同士で助け合い、手を替わって採血したのを記憶している。そうやって、ドラマのように研修医の絆が築かれていったのかもしれない。
半夜門口集合
研修醫師的一天,在忙完抽血、報告、安排檢查及各種處置之後,能坐下來開始寫病歷大概都是下午五點之後。但這個時間還有一個傍晚的會議evening conference,通常是從六點開始一直到晚上九點,因為醫師不算在勞基法適用範圍,不像一般上班族那樣,沒有違法的問題。餓著肚子開會也是常態,熬到會議結束、完成當天的病歷、把隔天晨血的管子貼好姓名貼,差不多也接近半夜十二點了,這才是真正一天的結束。通常隨著時間靠近半夜,醫師休息室會慢慢聚集這些行屍走肉般的研修醫師們。幾乎不用說出口,大家都有「12點醫院門口集合」的默契,一起吃飯遲來的晚餐跟喝酒。彼此各自回到家中都差不多凌晨兩點了,在電視背景音下隨便沖個澡,往往忘記關燈關電視就昏睡在床上,然後隔一天早上六點多又要起床準備下一個研修醫師的一日⋯⋯ 像這樣的日子我整整過了兩年,如果是現在的住院醫師們,應該一個禮拜以後我就會在辦公桌上看到他們的辭呈了吧(笑) 不過請各位住院醫師安心,現在你們有勞基法在背後堅強地支持著!!
12時に玄関集合
そんな研修医の一日も午後は大体、検査など処置で終わってしまい、ようやくカルテを書き始めるのが、5時過ぎ夕方である。ときに夕方のカンファレンスというのがあって、6時から9時という普通の会社では考えられない時間帯で行われる(医師は労働基準法適応外なので)。もちろん、空腹のまま会議は行われる(日本人医師はみな家帰ってご飯を食べる習慣、あまりにも長時間病院にいるから、その償いなのかなぁと当時は思っていたが)。9時にカンファレンスが終了し、カルテを書き、翌日のオーダーをして、採血管にラベルを貼って、ようやく一日の仕事が終了。大体その時刻が12時である。医師部屋に戻ると研修医の皆がその日の仕事を終え、続々と集まって、そこで決まって病院玄関集合ねって、遅い晩御飯(飲みも兼ねて)を食べに行く。帰宅はいつも2時前で、帰ってテレビをつけると決まって、普通の番組が終了して、テレビショッピングしか流されてない。それをバックにシャワー浴びて、就寝。翌日6時起きという生活を僕は2年間、ほぼ休まずに続けた。そんな生活を今の北医の研修医達はどう思うのだろうか?多分、一週間後に僕は彼らの辞表を受け取るのかな…。
大丈夫よ、もう君達は労働基準法という後ろ盾がありますよ!!
今日の晩御飯 決めてくれる 在 東海オンエアの控え室 Youtube 的最佳解答
お母さんがご飯を作ってくれていた頃は、こちらサイドの好き嫌いなどをほとんど忖度せずにメニューを決めてくれるので、色々なものを食べられていました。
「今日のご飯なに〜?」「ん〜、なんか鶏肉の煮たヤツ」「(チッ、今日はハズレか…)」というやりとりを皆さんもしたことがあると思います。そのときは、「鶏肉の煮たヤツなんて食う価値ねぇわ」と思っているかもしれませんが、それ以外で「鶏肉の煮たヤツ」食う機会ないですからね。ご飯食べに行こうってなったときに、「今日はなんか鶏肉の煮たヤツ食いたい気分!」とはならないですもんね。いろいろな種類のものを強制的に食べさせてくる母親という存在は、以外とありがたいものだったのかもしれません。
大人になってしまうと、晩御飯の選択肢が極端に減ります。敢えて自分の好きじゃないものを選んで食うことはないからです。煮魚なんて一生食いません。
でも、健康のことを思えば色々なメニューを食べたほうがいいですよね。今日の晩御飯のメニューを強制的に決めてくれる、「バーチャルおかん」というアプリを誰か作ってください。
東海オンエアの控え室へようこそ。
ぜひチャンネル登録お願いします!
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