很久沒有分享文章了
和大家分享我的日本地獄研修醫生活:第一章 😘
日本では研修医が主治医(我的日本研修醫師生活1之 在日本 研修醫就是主治醫篇)
8月1號開始,醫院即將迎來閃亮亮的新人們。今年北醫小兒科會有兩位新進住院醫師加入,不禁讓我回想我的研修醫生涯,是從2001的春天開始,至今已經是19年前的事情了⋯⋯ 雖然已經過了這麼長的時間,但那段時光好像昨天才發生一樣映在我腦海裡。現今日本醫療界研修醫師的工作環境跟我當時已經大不相同,與北醫小兒科訓練的環境比起來,我的受訓生涯可謂之地獄吧?不過卻是相當充實而且想起來還挺有趣的地獄呢!
8月1日から、病院に新しいピカピカの研修医1年目の先生がやってきた。わが北医小児科にも今年は二人の新人が新たに加入した。そう考えると、私が研修医を始めた2001年から、もう今年で19年目になります…、いや、本当に時は矢の如し、あっという間の19年間です。それでも、大学病院の研修生活は昨日のように覚えている。今の日本の研修状況はだいぶ変わっていると思うが、それでも今の北医小児科の研修環境と比べると、私たちの研修医生活は本当に地獄???のようなものでした。それでも充実していて、楽しかったと今振り返ってみてそう思います。
一日之計在於抽晨血
病房的早上從7點半開始,跟台灣不太一樣的地方是,所有的抽血都是研修醫師的工作,點滴針頭放置當然也是。抽晨血必須要在一個小時內完成,因為八點半檢驗室一開門,大家就會聚集在門前(不經傳送)直接把手上的檢體奉上並說「麻煩您快點(檢驗後上傳報告)」。之所以這麼焦急,是因為九點半的時候資深教學主治醫師就會開始回診,在那之前所有的檢驗報告必須都要完成。而且向師長報告還有一個潛規則就是,病歷是要攤開面向師長,報告者必須「默背」報告的內容。當然包括檢驗的數值(要暗記至小數點後一位是弊科的傳統),如果沒有達成,就等著被師長們電到在天上飛下不來,因為「研修醫就是主治醫師,病人生命的責任是在你手上,所以記住他們所有的檢驗報告數值是最基本的吧!?」by 師長。人有時候難免有手氣不順的時候,這時候前輩給予的貼心建議就是「7:30來不及一小時內抽完,你可以提早兩個小時前來上班啊~」但也發生過對自己極度沒自信的同儕凌晨就摸來醫院把病童搖起來要抽血,惹的病童家長起床氣破口大罵的事件。為了避免被罵,大家都拼了命練習抽血的技術,因此我回來台灣服務常常被護理師們稱讚很會抽血,都是拜研修醫師一生懸命地練習所賜啊!和台灣類似的是,抽血手感不順的時候,我們也是會有兩抽不中就換人抽的習慣,因此同期夥伴們的革命情感就是在這樣互相搭手協助上慢慢建立茁壯起來。
朝は採血から
病棟には7時30分に着き、まずは採血から1日が始まる。台湾と違って、採血は全て研修医の仕事である。あと、点滴作りも研修医の責任(点滴を繋げるのは看護師でしたが)。採血を一時間以内に済ませ、8:30には検査室が開けると同時に検査技師に検体を手渡し、“至急お願いしますと伝える”。なぜなら、9:30に上級医の回診があり、それまでにデーターが出てないと怒られるからである。その回診にもルールがあり、まずは昨日の経過と今日のデータを報告する、その報告もカルテを見ずに行うのが決まりで、上級医曰く、“君は主治医だろう、命を扱っているのだから、そのくらいのデータは覚えておけ”とのことです。ちなみに小数点下1桁まで覚えるのが決まりでした。そうなると、もし採血に手こずり、間に合わないならどうなるかというと、そこは決まって“**君さぁ、採血に自信がなかったら、もっと早く病院に来なさいよ”。翌日は7時にくるように…っとなります。ただ、それであまりにも早く来すぎて、患者さんに怒られた研修医がいたのを僕は記憶している。そうならないように、採血にはとにかく練習しまくったのを覚えております。そのおかげで、台湾に戻った後も、よくうちのNPに、張先生は採血上手いねって褒めらた。ただ、それでもどうしても調子が悪いとき、つまりスランプというのがあります。その時は研修医同士で助け合い、手を替わって採血したのを記憶している。そうやって、ドラマのように研修医の絆が築かれていったのかもしれない。
半夜門口集合
研修醫師的一天,在忙完抽血、報告、安排檢查及各種處置之後,能坐下來開始寫病歷大概都是下午五點之後。但這個時間還有一個傍晚的會議evening conference,通常是從六點開始一直到晚上九點,因為醫師不算在勞基法適用範圍,不像一般上班族那樣,沒有違法的問題。餓著肚子開會也是常態,熬到會議結束、完成當天的病歷、把隔天晨血的管子貼好姓名貼,差不多也接近半夜十二點了,這才是真正一天的結束。通常隨著時間靠近半夜,醫師休息室會慢慢聚集這些行屍走肉般的研修醫師們。幾乎不用說出口,大家都有「12點醫院門口集合」的默契,一起吃飯遲來的晚餐跟喝酒。彼此各自回到家中都差不多凌晨兩點了,在電視背景音下隨便沖個澡,往往忘記關燈關電視就昏睡在床上,然後隔一天早上六點多又要起床準備下一個研修醫師的一日⋯⋯ 像這樣的日子我整整過了兩年,如果是現在的住院醫師們,應該一個禮拜以後我就會在辦公桌上看到他們的辭呈了吧(笑) 不過請各位住院醫師安心,現在你們有勞基法在背後堅強地支持著!!
12時に玄関集合
そんな研修医の一日も午後は大体、検査など処置で終わってしまい、ようやくカルテを書き始めるのが、5時過ぎ夕方である。ときに夕方のカンファレンスというのがあって、6時から9時という普通の会社では考えられない時間帯で行われる(医師は労働基準法適応外なので)。もちろん、空腹のまま会議は行われる(日本人医師はみな家帰ってご飯を食べる習慣、あまりにも長時間病院にいるから、その償いなのかなぁと当時は思っていたが)。9時にカンファレンスが終了し、カルテを書き、翌日のオーダーをして、採血管にラベルを貼って、ようやく一日の仕事が終了。大体その時刻が12時である。医師部屋に戻ると研修医の皆がその日の仕事を終え、続々と集まって、そこで決まって病院玄関集合ねって、遅い晩御飯(飲みも兼ねて)を食べに行く。帰宅はいつも2時前で、帰ってテレビをつけると決まって、普通の番組が終了して、テレビショッピングしか流されてない。それをバックにシャワー浴びて、就寝。翌日6時起きという生活を僕は2年間、ほぼ休まずに続けた。そんな生活を今の北医の研修医達はどう思うのだろうか?多分、一週間後に僕は彼らの辞表を受け取るのかな…。
大丈夫よ、もう君達は労働基準法という後ろ盾がありますよ!!
小兒 採血管 在 張璽醫師-小兒神經 Facebook 的精選貼文
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日本では研修医が主治医(我的日本研修醫師生活1之 在日本 研修醫就是主治醫篇)
8月1號開始,醫院即將迎來閃亮亮的新人們。今年北醫小兒科會有兩位新進住院醫師加入,不禁讓我回想我的研修醫生涯,是從2001的春天開始,至今已經是19年前的事情了⋯⋯ 雖然已經過了這麼長的時間,但那段時光好像昨天才發生一樣映在我腦海裡。現今日本醫療界研修醫師的工作環境跟我當時已經大不相同,與北醫小兒科訓練的環境比起來,我的受訓生涯可謂之地獄吧?不過卻是相當充實而且想起來還挺有趣的地獄呢!
8月1日から、病院に新しいピカピカの研修医1年目の先生がやってきた。わが北医小児科にも今年は二人の新人が新たに加入した。そう考えると、私が研修医を始めた2001年から、もう今年で19年目になります…、いや、本当に時は矢の如し、あっという間の19年間です。それでも、大学病院の研修生活は昨日のように覚えている。今の日本の研修状況はだいぶ変わっていると思うが、それでも今の北医小児科の研修環境と比べると、私たちの研修医生活は本当に地獄???のようなものでした。それでも充実していて、楽しかったと今振り返ってみてそう思います。
一日之計在於抽晨血
病房的早上從7點半開始,跟台灣不太一樣的地方是,所有的抽血都是研修醫師的工作,點滴針頭放置當然也是。抽晨血必須要在一個小時內完成,因為八點半檢驗室一開門,大家就會聚集在門前(不經傳送)直接把手上的檢體奉上並說「麻煩您快點(檢驗後上傳報告)」。之所以這麼焦急,是因為九點半的時候資深教學主治醫師就會開始回診,在那之前所有的檢驗報告必須都要完成。而且向師長報告還有一個潛規則就是,病歷是要攤開面向師長,報告者必須「默背」報告的內容。當然包括檢驗的數值(要暗記至小數點後一位是弊科的傳統),如果沒有達成,就等著被師長們電到在天上飛下不來,因為「研修醫就是主治醫師,病人生命的責任是在你手上,所以記住他們所有的檢驗報告數值是最基本的吧!?」by 師長。人有時候難免有手氣不順的時候,這時候前輩給予的貼心建議就是「7:30來不及一小時內抽完,你可以提早兩個小時前來上班啊~」但也發生過對自己極度沒自信的同儕凌晨就摸來醫院把病童搖起來要抽血,惹的病童家長起床氣破口大罵的事件。為了避免被罵,大家都拼了命練習抽血的技術,因此我回來台灣服務常常被護理師們稱讚很會抽血,都是拜研修醫師一生懸命地練習所賜啊!和台灣類似的是,抽血手感不順的時候,我們也是會有兩抽不中就換人抽的習慣,因此同期夥伴們的革命情感就是在這樣互相搭手協助上慢慢建立茁壯起來。
朝は採血から
病棟には7時30分に着き、まずは採血から1日が始まる。台湾と違って、採血は全て研修医の仕事である。あと、点滴作りも研修医の責任(点滴を繋げるのは看護師でしたが)。採血を一時間以内に済ませ、8:30には検査室が開けると同時に検査技師に検体を手渡し、“至急お願いしますと伝える”。なぜなら、9:30に上級医の回診があり、それまでにデーターが出てないと怒られるからである。その回診にもルールがあり、まずは昨日の経過と今日のデータを報告する、その報告もカルテを見ずに行うのが決まりで、上級医曰く、“君は主治医だろう、命を扱っているのだから、そのくらいのデータは覚えておけ”とのことです。ちなみに小数点下1桁まで覚えるのが決まりでした。そうなると、もし採血に手こずり、間に合わないならどうなるかというと、そこは決まって“**君さぁ、採血に自信がなかったら、もっと早く病院に来なさいよ”。翌日は7時にくるように…っとなります。ただ、それであまりにも早く来すぎて、患者さんに怒られた研修医がいたのを僕は記憶している。そうならないように、採血にはとにかく練習しまくったのを覚えております。そのおかげで、台湾に戻った後も、よくうちのNPに、張先生は採血上手いねって褒めらた。ただ、それでもどうしても調子が悪いとき、つまりスランプというのがあります。その時は研修医同士で助け合い、手を替わって採血したのを記憶している。そうやって、ドラマのように研修医の絆が築かれていったのかもしれない。
半夜門口集合
研修醫師的一天,在忙完抽血、報告、安排檢查及各種處置之後,能坐下來開始寫病歷大概都是下午五點之後。但這個時間還有一個傍晚的會議evening conference,通常是從六點開始一直到晚上九點,因為醫師不算在勞基法適用範圍,不像一般上班族那樣,沒有違法的問題。餓著肚子開會也是常態,熬到會議結束、完成當天的病歷、把隔天晨血的管子貼好姓名貼,差不多也接近半夜十二點了,這才是真正一天的結束。通常隨著時間靠近半夜,醫師休息室會慢慢聚集這些行屍走肉般的研修醫師們。幾乎不用說出口,大家都有「12點醫院門口集合」的默契,一起吃飯遲來的晚餐跟喝酒。彼此各自回到家中都差不多凌晨兩點了,在電視背景音下隨便沖個澡,往往忘記關燈關電視就昏睡在床上,然後隔一天早上六點多又要起床準備下一個研修醫師的一日⋯⋯ 像這樣的日子我整整過了兩年,如果是現在的住院醫師們,應該一個禮拜以後我就會在辦公桌上看到他們的辭呈了吧(笑) 不過請各位住院醫師安心,現在你們有勞基法在背後堅強地支持著!!
12時に玄関集合
そんな研修医の一日も午後は大体、検査など処置で終わってしまい、ようやくカルテを書き始めるのが、5時過ぎ夕方である。ときに夕方のカンファレンスというのがあって、6時から9時という普通の会社では考えられない時間帯で行われる(医師は労働基準法適応外なので)。もちろん、空腹のまま会議は行われる(日本人医師はみな家帰ってご飯を食べる習慣、あまりにも長時間病院にいるから、その償いなのかなぁと当時は思っていたが)。9時にカンファレンスが終了し、カルテを書き、翌日のオーダーをして、採血管にラベルを貼って、ようやく一日の仕事が終了。大体その時刻が12時である。医師部屋に戻ると研修医の皆がその日の仕事を終え、続々と集まって、そこで決まって病院玄関集合ねって、遅い晩御飯(飲みも兼ねて)を食べに行く。帰宅はいつも2時前で、帰ってテレビをつけると決まって、普通の番組が終了して、テレビショッピングしか流されてない。それをバックにシャワー浴びて、就寝。翌日6時起きという生活を僕は2年間、ほぼ休まずに続けた。そんな生活を今の北医の研修医達はどう思うのだろうか?多分、一週間後に僕は彼らの辞表を受け取るのかな…。
大丈夫よ、もう君達は労働基準法という後ろ盾がありますよ!!