今年在台北電影節看的其中一部電影「おたがやか」(若無其事的寧靜)就是講述關於311。
這部電影是從一位媽媽的角度出發,她的孩子還在上幼稚園,可是當她替她孩子戴上口罩的時候,其他的家長們竟然覺得她們這家人有問題在引起恐慌!但事實上…大家嘴裡不說心裡很明白輻射已經影響了他們居住的地方。
就真的和文章中來自福島的這位媽媽說的一樣:「漸漸感到,在日本好像已經不能談論核電、輻射、被曝的問題,而且那種氣氛愈來愈強了;這是非常可怕的事。」
關於這一點演這部電影的主角杉野希妃也在座談會上說到類似的話。
不管經濟發展多麼重要,我們都必須先思考「生命」和「未來」的重要性。
生命無價也無可替代。
※電影相關聯結
http://www.taipeiff.org.tw/Program_s.aspx…
朋友, 請你一起來聆聽這一對311福島核災後避難來到台灣的日本福島縣母女 Masako 和 Mayuko 的肺腑之言。
♥ 媽媽 Masako (2011年日本311福島核災發生後, 放棄了在福島縣多年來辛辛苦苦所建立起來的一切, 毅然帶著一女一子離鄉背井來到台灣避難, 重新開始的日本媽媽):
" 我家位於福島縣郡山市,距離福島第一核電廠六十公里。核災發生後,政府劃定的強制避難範圍是三十公里。對於政府來說,六十公里的距離並沒有避難的必要。但是,難道距離核電廠三十公里的地方有一堵巨大的牆壁嗎?難道放射線不會洩漏到三十公里之外的地方嗎?其實,在核災發生後,我家附近就測到令人驚訝的高輻射量。而根據今年8月21日的新聞報導,最近又發現43位福島兒童疑似罹患惡性甲狀腺癌,而這些孩子,多半就是住在距離福島核電廠六十公里以外的地方。
震災發生後,我立刻帶著兩個孩子避難。雖然我的家庭與工作都在這裡,但這地方已經不能待下去了,無論如何我也必須要保住孩子的生命。我沒有從國家或是其他地方得到任何補償。福島四座反應爐爆炸後,安全更是痴人說夢。日本政府和東京電力公司為了讓意外看起來不嚴重,反覆說謊、隱瞞事實,電視新聞和報紙也配合隱瞞真相。
雖然台灣人都稱讚日本人災後反應冷靜、秩序良好,但那只是因為可怕的真相並沒有被報導出來,以致於很多人被瞞在鼓裡,根本不知道實際的情況。事實上,每天有超過三百噸的高濃度輻射廢水流進太平洋。同時,為了除去放射線的汙染,日本政府花費數億元進行挖土和除草的工程、可是這只能讓一地的輻射值暫時下降而已,因為這些廢土搬運到另一個地方之後,那個地方的輻射值就會因此上升了。也就是說,根本沒有處置這些汙染物的地方。有人說,除去輻射汙染的作業,簡直就像是拿著竹棒對付戰鬥機一樣。
核災之後,那些我們看不到也不能接近的核燃料,就這樣每日每夜往空氣、土地、大海、河流散播輻射。而因此遭到汙染的日本食品,就這樣在全世界流通著。
到底哪裡有終止呢?哪有什麼會終止呢?
日本的政治人物與學者說,日本的核災並沒有造成任何人死亡。這是非常離譜的錯誤,因為那只是因為他們否認了相互之間的因果關係。事實上,已經有很多人因核災而死亡。在這場事故當中,並不是沒有人死亡,而是沒有人被逮捕。雖然釀成這麼大的災難,可是在東電和政府官員中,竟然沒有任何一個人遭到逮捕!
事發至今兩年五個月,愈來愈多孩子被發現甲狀腺異常,我也從朋友那裡聽到很多人有貧血、流鼻血等健康惡化的狀況,甚至還有一些朋友因為心肌梗塞而死亡。然而,卻有愈來愈多人的危機感逐漸痲痹,愈來愈冷漠,彷彿一切事不關己。
我常常被問到「為何要來台灣避難?」因為我害怕。我當然怕輻射,但我更怕踐踏人命的日本政府,也怕冷漠的日本人,以及讓我們愈來愈冷漠的媒體。最近我漸漸感到,在日本好像已經不能談論核電、輻射、被曝的問題,而且那種氣氛愈來愈強了;這是非常可怕的事。我們不能說可怕的東西可怕,這簡直就像在戰爭的時候一樣。核電廠只要出一次事就無法回頭,這根本是人類無法處理的東西,而且這種痛苦會永遠存在,這也就是為什麼我們一定要終結它們。
為了要守護孩子的生命,守護我們身邊重要的人的生命,我們應該要讓更多人知道核電的危險性,不能再沈默下去了!意外一旦發生,我們會失去工作、也會有家歸不得。但是最重要的問題仍然是,我們會失去生命。我們必須要知道,輻射帶來的痛苦是永遠都不會結束的。
為了捍衛生命,我會這樣持續地告訴所有人,核電是危險的!我們不需要核電廠!
我們都是地球人,一起為了守護生命而發聲吧!“ ♥
♥ 女兒 Mayuko (現在就讀台灣中部某大學二年級):
“ 核災發生後,至今已經兩年半了。心情很複雜,不知該說竟然已經過了兩年半,還是說竟然才過了兩年半。現在我住在台灣,如果沒有福島核災的話,也許我就不會在這裡了。但這種事情是誰也不曉得的,而且在台灣的生活很有趣也很舒服自在。但另一方面,每當我從電視或網路得知日本的狀況,就會被拉回到現實當中,令人忍不住嘆息。我想讓大家知道,福島核災還沒有結束,幅射汙染所帶來的痛苦也永遠不會消失。
在日本,很多人說,被曝和避難等,都只是每個人的選擇的問題。不過,為什麼我們非得要面對這些既看不見也聞不到的東西來做出選擇呢?我認為這是非常殘酷也非常不合理的事。也因為這是那麼的殘酷和不合理,才會有人選擇思考它,也有人選擇不去思考它吧。
我認為,「反核」就是對威脅我們生命的東西進行的戰鬥。所以我們必須要跨越政治、思想、意識型態的籓籬,將行動付諸實踐。
對我來說,「生命」和「未來」才是最重要的,也是我們最應該去守護的。每個人都應該站在身為一個人類的立場去思考,到底我們應該做什麼,應該守護什麼。不管大人們有什麼樣的理由,不管經濟發展多麼重要,我們都必須先思考「生命」和「未來」的重要性。生命是無可替代的。輻射也沒有國境。地球只有一個,讓我們跨越國籍,一起為反核廢核來努力。” ♥
PS. ♥ 媽媽 Masako 手寫日文原始內容:
“私は福島県の郡山市に家がありました。郡山市は福島第一原発がある場所から60キロの距離にあります。
原発が爆発したあと、政府が出した避難区域は30キロです。
60キロは避難しなくてもよいと政府は判断しています。
しかし、30キロの場所に大きな壁がありますか?放射能がそこから入ってこないわけがありません
実際に、事故後に計測した私の家のまわりの放射線量は驚くような高さでした。
そして、21日付けの報道で福島県の、こどもたちに新たに43人悪性の甲状腺がんの疑いの子どもがみつかりました。しかもその子どもたちの多くは、原発から60キロ離れた場所に住んでいるこどもたちです。
震災後、私はこども二人をつれてすぐに避難しました。
家も仕事も、この場所では無理だととにかくこどもの命を守りたい。
国からもどこからもなんの補償もありません。
しかし、4つの原発が爆発したのです。安全なわけがありません。
日本政府や東京電力はとにかく、事故を小さくみせるために嘘と隠蔽を繰り返しています。
テレビや新聞も隠蔽と情報操作をしました。
台灣の人は、日本人は冷静に行動している、素晴らしいとほめてくれましたが、実際は都合の悪いことは報道していないだけですし、隠蔽されていたのでわからない人も多かったのです。
もう日本の原発事故は終ったことにしたい、悪い人たちが嘘をつき 世界に向けて報道します
毎日毎日、太平洋に300トン以上の 高濃度の放射性汚染水があふれ流れています。
除染というものに何億もお金を使い土を削ったり木や草を刈ったり、コンクリートを削ったりしていますが放射線量が下がるのは一時的なもので、汚染された土を運んだ場所が今度は高い放射線量になっています。捨てる場所もないのです。ある人は、除染を、まるで竹槍で戦闘機にむかって行っているようだと言いました。
爆発後、どこにどうなっているのか見ることも近づくこともできない核燃料から、毎日、放射能が空に大地に、川に海にと出ています。汚染された食品が日本中、世界中に広がっています
どこが、終ったのでしょうか?
なにが終わったのでしょうか?
日本の原発事故での死亡者はいない、0だという政治家や学者がいます。
とんでもない間違いです。すべて因果関係が認められないという認定をしているだけで
沢山の人が亡くなっています。
原発事故でいないのは、死亡者ではなく 逮捕者です。
こんな大きな重大な事故を起こしたのに東京電力も、政府の人間も誰一人逮捕されていません。
爆発から2年5ヶ月が経ち、甲状腺がんのこどもが次々みつかり、貧血や鼻血などの健康状況が悪いという報告も友人から聞きます。心筋梗塞で知人が何人か亡くなりました。
しかし人々はどんどん危機感が麻痺し無関心な人が増えています。
なぜ、あなたは台灣にまで避難したのかと聞かれることが多いのですが、私は恐いのです
放射能ももちろん恐いけれど、命を守ろうとしない日本の政府が恐い。日本の無関心な人が恐い。
無関心にさせようというメディアの雰囲気が恐いのです。
原発、放射能、被曝、その話をすることがどんどん出来なくなっていっている日本の雰囲気が
恐ろしいと感じています。こわいものをこわいと言えないのです。まるで戦争中のようです。
原発は1度事故を起こすと取り返しがつきません。人間の手にはどうしようもないものです。
この苦しみは永遠に続くのです。 だからこそなくさないといけない。
大切なこどもや大切な人の命を守るために 一人ひとりが危険性を知り 命を守ろうと声をあげなければならないと思っています。
事故が起きると、家に帰れなくなる、仕事もなくなる、もちろんそうです。
しかし1番の問題は、命に関わる。命をなくす ということです。
そして放射能の汚染と苦しみは永遠に終らないという事を知って下さい。
命を守るために 私は核電は危ない、核電は要らない。と言葉にして発信し続けます。
私達は、地球人です。一緒に命を守るために声をあげましょう。” ♥
♥ 女兒 Mayuko 手寫日文原始內容:
“原発事故から二年五ヶ月が経った。もう二年半なのか、まだ二年半なのか、複雑な気持ちである。今、私は台湾にいる。もし、原発事故がなければ私は違う場所にいたかもしれない。しかし、そんなことはだれも分からないし、台湾での暮らしはなかなか面白くて何より住み心地がいい。その反面、日本の状況をインターネットやテレビで目にするとやっぱり現実にぐぐっと引き戻され、ため息をついてしまう。福島の事故は終わっていないし、放射能汚染と事故のもたらした苦しみは永遠に消えることはないとみなさんに知って欲しい。
今、日本では、被ばくの問題や避難について、人それぞれの生き方や選択の問題だからと言われることがあります。しかし、目にも見えない匂いもしないどうなるかよく分らないものに対して判断を迫る事自体、残酷でおかしいことだと思います。だから、考える人とそうでない人がうまれてしまうのでしょう。
「反核」…これは命を脅かすものに対しての闘いであり、政治や思想、主義・主張などの壁を越えて、考え一緒に行動することが必要ではないでしょうか。
私は、一番守るべきものは、命そして未来だと思います。一人ひとりが一人の人間として純粋に何をするべきか、何を守るべきか考えるべきです。大人の様々な事情や経済の発展よりも、命や未来を大切に考えて欲しいです。命のスペアはありません。放射能には県境もなければ国境もありません。地球は一つしかないのです。国を越えて一緒に反核廃核を頑張りましょう!” ♥
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