【俥夫世界一周案内フィリピン3ヶ月語学留学中】
さあ!はじめまして。フィリピンのダバオにあるE&Gという語学学校へ来ました。
思った以上に日本人が、多いため甘えてしまう環境もあると思いますが...
こんなフィリピンの端で会えたのも、これまた運命!!仲良くやっていきましょう。
英語でしか話しては、いけない部屋もあり...
同じ日本人同士なのに英語で会話するなんて、なんか不思議な感じがします。
とにかく、目標のため!夢のため!
負けずに3ヶ月頑張りたいと思います。
さあ!お待ちかね?
待ってません?笑
動画を配信したいと思います。
https://youtu.be/HO97DAQeGb0
もう始まってますよ!
俥夫の世界一周案内人!!
さあ!できる限り、いろいろ案内したいと思うので、良ければチャンネル登録もしていただいて映像をお楽しみ下さいませ。
【毎週月曜日22時木曜日23時配信となります】
それでは、英語の勉強しなくては!!笑
いってきます。
「#2020年東京オリンピックPJみんなで走らす世界一周人力車の旅」
立ち上げです....!!!!
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【後に世界一周映像を配信中です】
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【人力車×世界のコラボ写真が、見れます】
★★★少しでも多くの力がほしいです★★★
あなたの片手で、世界に人力車を走らせれます。SNSご協力よろしくお願いします。
同時也有2部Youtube影片,追蹤數超過7,420的網紅まとめまとめの,也在其Youtube影片中提到,【まとめのまとめ】 チャンネル登録はこちら https://goo.gl/QN6ioA 愚痴愚痴完全なる愚痴独立 してるのに親からの援助 受けるのってそんなに悪いこと? 代々続く家業がまさに坊主 丸儲けで、 お金に困ったことは物心 ついてから一度もない お小遣いなど無い、 何故ならその都度 欲...
甘えて しまう 英語 在 まとめまとめの Youtube 的精選貼文
【まとめのまとめ】
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愚痴愚痴完全なる愚痴独立
してるのに親からの援助
受けるのってそんなに悪いこと?
代々続く家業がまさに坊主
丸儲けで、
お金に困ったことは物心
ついてから一度もない
お小遣いなど無い、
何故ならその都度
欲しい分だけいくらでも
貰えるから。
誕生日クリスマスも特に
楽しみではない、
何故なら365日好きな
ものを好きなだけ買って
もらえるから。
外車を数台所有していたり、
週に45日は外食で、
メニューの値段を一切
見ないで好き勝手注文するとか、
スーパーで欲しいもの
手当たり次第カゴに入れて
会計一万以上とか、
買い物の時は親が全て支払う、
とか、俺んちだったら考え
らんない。
って旦那に指摘されて、
初めて自分はお金持ちの
お嬢さんだったんだと気がついた。
子供が二人いるんだけど、
未だに私の親が携帯代、
保険料、子供の
教育費などを支払ってくれている。
金額にすると毎月10万
以上は浮いていると思う。
それを2ちゃんに書き込んだら、
甘えだとか実家依存とか、
とにかくボロクソに叩かれた。
なんで?
あなたのお金じゃないよ?
我が一族のお金をどう
使おうと関係ないじゃん?
もしかして私がズレてるんですか?
単なるやっかみだから気に
することないよ
援助してくれるんなら甘えてOK
婿貰ったってんならともかく、
嫁に出たのにそれじゃあ
馬鹿丸出しだなって思う
社会人になったら家にお金
入れるのが当たり前、
みたいな風潮も辞めてほしい
初めての給料貰ったとき、
いくらか家に入れた方が良いか?
聞いたら父親に
「お前に養ってもらうほど
落ちぶれてない」
って叱られた思い出どこが
馬鹿丸出しなの?
ほんとに分からないから教えて
どく‐りつ【独立】
1 他のものから離れて
別になっていること。
「母屋から独立した離れ」
2 他からの束縛や支配を
受けないで、
自分の意志で行動すること。
「独立の精神」
「独立した一個の人間」
3 自分の力で生計を営むこと。
また、
自分で事業を営むこと。
「親から独立して一家を構える」
「独立して自分の店をもつ」
親から援助を受けているのならば、
それを「独立」とよんで
いいものか?
ということでしょうか。
言葉の上ではですが。
ご主人のプライドが傷つく
ことなく、
夫婦で納得しているのであれば、
親御さんからお小遣いを
もらうことが悪い
ことだとは思いません。
まあ本人がよけれ
ばいいんじゃないかな
自分もそういう家に
生まれたんだけどなぜか
それが嫌で嫌で仕方なくて
壮絶に反抗して社会人に
なるとすぐ家出
ちゃったけど生理的に
嫌だったとしか言いようが
ないので別に善悪の
問題じゃないよなあとも思う
2ちゃんでボロクソ叩かれても、
我が一族のお金どう使おうが勝手。
なんでしょ?
その通りだけど叩かれても
わからないんだから、
それでいいじゃない。
何で
「我がズレてるの?教えて」
ってわざわざ書き込むの?
馬鹿なの?
自分もそういう家に
生まれて婿取りだけど、
嫁に行った姉妹たちもと同じだよ
親にしてみればみんな子供だしね
個人で稼ぐのプラス代々
保有してる財産からまた
財産が生れるからそうそう
減ることもないし死んだら
結局子供のものだし、
親が増やした分は子供で分けて、
先祖代々のものは惣領がもつ
嫌なら強制はしないけど、
自分も子供には同じように
するつもり
それがうちの常識だけど、
ただ、世間知らずだと
よろしくないと思う
世間の常識、家の常識、
人によっての常識、それに
やっかみなどの感情もある
んだから、
本当に人それぞれの意見に
なると思うは現状それで
いいと思ってるなら、
気にせずにいればいい
んじゃないかな
たんなるやっかみだし何も
問題ないよ?
お金で苦労したこと
ないなんてすごく凄く
うらやましいだけもしか
したら旦那さんとうまく
いかない事が将来的に
あるだろうけどそれは
あたなの見る目が
なかっただけってことに
なるだろうし多分、
普通の人の感覚だと親の
金は親のもの
自分で稼いだお金で自分の
子供を育てて子供が自分で
生活できるチカラを育んで
あげるべきって基本が、
親の金を当てにしちゃうと
孫の代にはそれが当てに
できなくなるから将来が
心配ってだけだとおもう。
だけどひとつ
つけくわえるなら自分は
社会人になってから親の
援助はまったく受けず就職
して自活してひとり暮らし
して親が何か買って
くれると言っても断ってきたけど
(親と不仲なわけではない)
956を叩くような
人たちならそういうのを
褒めてくれるかというと
まったくそういうことはないw
お嬢さまの反抗だとか
セイフティネットつきの
安全な自立だとかやっぱり
さんざんに叩かれて
きたのでもう世の中って
そういうものだと思って
やりたいようにやるしか
ないと思うよ
自分は叩かれても好きな
ようにやれてここまで
楽しく生きているので満足している
その状態を他人に言わなき
ゃいいだけかと
うちの親も同じ様な育て方だったな
ただ、私はそれが
一般的ではないと幼い
ときから自覚して普段は
買ってもらわず特別な時に
ガツンと買ってもらった
援助されたとしても
子供の分だけかな
携帯代を親に払って
もらって独立ってのは違うと思うよ
援助されるのはいいけど、
それが当たり前で普通では
ないって自覚は必要
それに気付いていない
ことが馬鹿にされてしまうのでは?
飼われて生かされてるのに
それに気づいてないって
ことが滑稽に映るんだと思う
うちも一緒
携帯代や保険なんかは
さすがに払ってもらっては
いないけど、
育った環境はほぼ一緒
この前も母と買い物行って
着物と帯買ってもらった
デパートに行ったついでに
コスメ系も買ってもらった
夫も裕福な育ちで夫自身も
経営者で成功してるから
お金には不自由ない育ちだから、
私実家の事を疑問に思っていない
一緒に買い物行って夫も
特に値段を気にしたりしない
リアルでは絶対口に出さないけど、
持ち物や着るものを見て嫌味?
にもならないやっかみを
言ってくる人はいるよね
無理してるわけでもなく
裕福な家庭に産まれたんだし、
親がそうしてくれる事を
断る必要なんてないと思ってる
うちはうち、よそはよそ
悪いというより可哀想だね。
あなたのお子さん達が。
一般的な金銭感覚を教え
られないでしょ。
親が祖父母から援助される
のを当然だと思ってたら
毎月の小遣いでやりくり
する必要性が分からないだろうし。
結婚して子供までいるのに
未だに娘気分でいるって
おかしいと思うわ。
あと、
> 社会人になったら家に
お金入れるのが当たり前、
みたいな風潮も辞めてほしい
は余計なお世話。
自分達の事は言わ
れたくないくせに昔からの
風習にケチつけるとか
どういう神経してるのかな。
お金持ちの人達って
大変ですよねうちの
学校にも小さい頃から
好きなだけ習い事させて
貰ってあらゆる場所で賞を
貰い何カ国も留学して
少なくとも英語と
フランス語とドイツ語を
覚えて日本に帰ってきて
留学した事で留年に
なりましたけど東大に
行った同級生が居ますが
めちゃくそ叩かれてました。
裏口入学だの、それだけ
お金あったら誰だって
三カ国語喋れるようになるとか。
どうせ賞は親の力で得たものとか、
本人の努力を正当に評価
しないんですよ。
心まで貧乏って惨めだなと
周りが反面教師になった
いい経験をしたと思っています。
人の家の事を非常識だと
罵るご家庭は大抵非常識で
碌でもないので、
逆に見極められていいと
思いますよ。
そういう人たちはもう
常識とか社会の厳しさとか、
そういう事でしかマウント
取れないんですよ…マジで。
うちも
そこまでじゃないけど
裕福な家庭育ちだわ
お金に苦労したことはない
でも元々は貧乏だったんだけど、
親が頑張った結果でそれ
買い物にいけば親が出す、
帰省の料金は親もち、
帰るときにはお小遣い
(まあ今は生前贈与なんだけど)
親子揃って金のかかる
娯楽に興味ないからお金
あまって子供に使うんだってさ
羨ましいっすねーと
思いながら享受してるよ
デパートの外商さんとも
縁があるからほしいものが
ないけど買わなきゃなら
なくて私のものを買って
くるくれるんだから
いいじゃないのよ
子孫のために金
使いたいって言うのも親の
わがままで受けとる方が親
喜ぶんだしもらうもんはもらうわ
まあただし他人に言ったり
あからさまにばれるような
ことにならないよう気を
付けるもらえない人や独立
意識バリバリな人は偉いとも思う
ただ、独立しろよって鼻息
荒い人やまともな金銭感覚
っうるさい人はそっすか
ーくらいにしか思ってない
親に甘えるのは良いと
思うよ生活も余裕が
もてるしでも私の場合は
親ほど稼げる能力がない
多分自分の子どもも
残念だけど普通の子
かわいいけどね
そうなると親の遺産が
あっても下手な金の使い方
しそうだから自分への
戒めも含めて自身でお金を
稼ぐ力とお金を分相応に
使える力を身に付けさせたい
こういうのって別に
甘えって思わないけどなあ
使い道のないお金を子供に
渡して経済回してくれてる
立派な社会人だよ
貯蓄して金が回らない
ようにして若者からも金を
巻き上げるよりよっぽど
優れてると思う
うちレベルではないガチの
金持ち知ってるけど、
安売りバーゲンB級品大好きだよ
おしゃれなバーでぼった
くりの酒飲むより居酒屋で
いい酒そこそこの値段で飲んでる
そのくせ訳のわからん高い
ものも平然と買う
金持ちは金の使いかたが
うまいから金持ちな
んであって金があるから
なんでも好きなことに金を
つぎ込もうとするのは
むしろ金の使いかたを
知らないなれてない人なのかなー?
とその人たちみて思う
甘えでは無いとしても
独立でも自立でもないって
話じゃないの
まあ独立ではないし
ペラペラと色んな人に話す
内容ではないよねー
![post-title](https://i.ytimg.com/vi/2bsTi2Ae4ps/hqdefault.jpg)
甘えて しまう 英語 在 まとめまとめの Youtube 的精選貼文
【まとめのまとめ】
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自分語りスマソ。
話の始めはスレ違いに
思えるかも知れないが
吐き出させてくれ。
10年前の春、私(♂)
夫婦と同居している私実両親のうち、
母が3年の闘病の末亡くなった。
俺様な父は自分の妻の
葬儀にも喪主を私にマル投げ、
面倒なことは全て私と妻が
やり終えた。
居なくなった母の家庭内での
役割を出来るだけ私達夫婦で
分担したつもりだが、
私には仕事もあるので、
夕飯時などは妻が家事を
一人でこなしていた。
父は止める母が居なくなった
のを良いことに朝昼晩と酒を
絶やさなくなった。
後から判ったことだが、
どうやらその頃から、
舅の嫁イビリが在った模様だ。
妻は、当時独立してまもなく
自営業を軌道に乗せようと
一生懸命になっていた私に
心配を掛けまいとしていたらしい…
母が春に亡くなり、その夏、
妻の身体に異変が起きた。
末期の癌であり、早くて
3ヶ月、もって半年だと言う。
長くなるので、分けて書きます。
余命宣告に目の前が真っ暗になった。
まだ子供は小学2年生、
それも少し前まで可愛がって
くれていた祖母を亡くした哀しみを
何とか乗り越えたところだと
言うのに…
当時サラリーマンから転進
して自営を始めて間もない私は、
勤め当時とは比較にならない
収入を上げられるところまで
頑張れたのも、
妻との未来を想定しての
ことだったのに…
若い妻の生きたい、と言う
力を信じて、手術が行われた。
切除した部位により、
もう息子は兄弟を持つ望みが
無くなった。
外科手術、その後の化学
療法、掛かる費用は尋常では
なくなっていた。
簡保などでは到底追いつく
はずも無く、
あれが勤めの頃なら、
経済的に破綻していたに違いない、
と確信できる。
一旦退院できるまでに
奇跡的に回復し、
定期的な通院による化学
療法を受けることとなった。
しかし、その副作用は当人
以外には想像出来ないほどの
ダメージを与えるものだった。
妻は、自慢の髪が殆ど抜けて
しまったとき、
さめざめと泣いた。
私は、ただ抱きしめて
あげるしか出来なかった。
自分は、もしかしたら、病気
以外の苦しみを更に与えて
しまっただけではないのか、
と。
しかし妻は、母親の大好きな息子に、
苦しむ姿を見せることが無かった。
それでも、化学療法は通院と言えど、
2週休んで2週入院、
と言う半入院生活。
病院に居るときには父が孫の
世話をする日が続いた。
それが後々、とんでもない
間違いだった、
と言うことになるのである。
一年後、1回目の手術で取り
きれなかった部位の切除の為、
2度目の手術を行った。
1回目に当てに出来た医療保険は、
2回目のときには何処にも
そっぽを向かれた。
全て自費、である。
高額医療費貸付制度なども
最大限利用して
日々の暮らしを頑張っては
見たものの、
目に見えるほどではないが、
ジリジリと財政が危なくなる
ような悪い予感がした。
2回目の手術を終え、
定期的な通院による化学
療法をひと段落終え、
自宅での生活が始まった。
息子は中学受験を目指す
ことを申告してきた。
母の病気を治す医者になる、
と。
思う存分書きな。
ありがとう。
もともとお手伝いさんが
居るほどの大きな家で幼少を
過ごした父は、
戦争で何もかも失って
孤児院に行くことを余儀なく
された人だった。
それゆえ父は、生来の
お坊ちゃんならではの我侭と、
戦争孤児により世を恨む虚無
主義とが混在している、
実に難しい老人になっていた。
そんな父に、妻が入院中、
息子が情緒を育まなくては
ならないときに、
父が孫に吹き込んだ思想、
「どんなときでも自分以外は
信用するな」
所詮この世は苦しいことだらけ、
と言う考え方は、後々息子の
思考パターンを支配してゆく
ことになる。
通院とはいえ、化学療法は
やはり患者自身にとっては辛い。
全身を襲う倦怠感、
それにより家事も侭ならぬ
ことが多くなってきた。
私も出来るだけ家事に関わり、
時間の許す限り手伝ったが、
生前の母のような世話が
息子の私に出来る訳も無く、
父は酔っては文句を言う
ようになって来た。
「もう退院してるんだから、
家事をちゃんとやって貰わんと困る」
癌が完治した訳でも無く、
病を抱えて、妻は気丈に頑張ったが、
ある日、亡き母に託されて
いたことを僕の居ない間の
夕食時に妻が父に言った
「お義父さん、お酒は
控えましょうね。
お義母さんにも言われて
いたのでお伝えしますよ」
そうすると父は逆上し、
「やっとブレーキが
亡くなって好きなだけ
飲めると思ったのに、
何でそんな事云うんじゃ!
お前の顔見取ったら酒が
不味くなるから、
二階に上がって貰ってエエ」
と。
そう云われたことがきっかけに、
妻は鬱になった。
2回の寝室に引きこもりがちになり、
笑顔が減った。
>そっぽを向かれた
人の命を粗末にしようとする
保険会社の名前を出してください
癌の治療についての保障はしない、
と言う名目でした。
何とか中学受験を突破した息子は、
誰よりも強いモチベーションがある、
と信じていた。
しかし、後にも述べるが、
優しい心の持ち主だった息子は、
ずるさを身に着けてしまった。
引きこもりがちになった妻に、
父の容赦ない言葉の暴力が
降りかかるようになった。
「何もせんのは、甘えて
いるだけと違うのか」
私は当然抗議した。
貴方は現状を理解できないのか、
と。
そうすると、
「ワシは不幸じゃの。
親にも捨てられ、
妻にも先立たれ、今度は
嫁にも見捨てられ、
嗚呼、この世は憎い、ワシは
この世で一番不幸じゃ」
こちらの話を聞こうともしないで、
自室に戻り、寝る。
そんな日々が続いた。
出来るだけ息子の目には
触れないように配慮したが、
父は、孫と二人のときに、
かなり刷り込んだらしい。
「ワシは父に捨てられたようなもの。
オマエの父親もそのうち
お前を見捨てるかも知れんぞ。
所詮この世で信じられるのは
自分だけ。
よく覚えておけ」
父は自分の手を汚すことを
是としない人で、
掃除、洗濯、調理買い物と、
家事の殆どを私がすることになった。
それでも妻の手をとって
一緒に父不在時の折には
居間で楽しい時間を演出する
ように心掛けていた。
どうやら、父には、「彼女」
と呼べる女性が外部に居る
ようである。
そうこうして数年が経った。
余命長くて半年、と言わ
れてから6年が経っていた。
私は、病院治療のほかに
出来ることは無いか、
と、
心もとない英語力を生かして
薬事法の所為で国内正規販売
できないハーブティーの個人
輸入をして
妻にそれを飲んでもらったりして、
この数年間は、
マーカー値も安定して、
今思えばまるで夢のようだった。
しかし、病魔はそれを許さず、
確実に進行していたのだった。
妻が亡くなって、もう2年半
経つのに、
まだジタバタしています。
それでも子供は大きくなって行き、
父は年老いて行きます。
毎日が進んでいくのです。
僕が凹みきって、歩みを
止めてしまえば、
全てが終わってしまう。
このおよそ900日弱で、
何が変わったといえるのか…
それは、逢いたい妻はもう居ない、
逢えない、ということ。
何とか子供が成人するまでは、
と、それが妻との約束だ、
と思って頑張っているつもり。
思い出して、くじけそうになり、
みっともないところを
吐き出してしまうかもしれませんが、
どうか許してください。
化学療法を5年続けた妻は、
疲れきっていた。
息子の成長だけが、妻の
気持ちを支えていた、
と言えた。
その5年の間に、何度も妻が訴えた。
「お願いだから、もう無理」
「このまま少しずつ弱って
いくだけなら、
今生きる意味は何が在るの?」
泣きながら訴える妻に、
僕はまるで壊れたおもちゃのように、
繰り返すしかなかった。
「それでも僕や子供にとっては、
世界で一番大切な存在なんだ。
子供にとっては、
今父親よりも、母親の方が
ずっとずっと必要なんだよ」
また時には、掛ける言葉も
なく、僕もただ泣きながら
抱きしめるしかなかった
ときも数多在った。
そんな状態でも、して
もらえないことに対する
不満が絶えず父から僕たち
夫婦に投げつけられた。
「今出来ないことがどうしてもある。
我慢して欲しい」
と言っても、
父は、
「それならワシは、お前らの
足手まといだと言うのだな。
消えて欲しいと思ってるんだな」
とすぐに極論に走る。
そんな折、妻の実家の母親
(義父は僕たちの結婚の
翌年に亡くなっていた)
の癌が発見された。
妻と同じ部位の罹患、
ストマとウロストミの装着と
相成ってしまった。
妻には兄が一人居るのだが、
そのアニも糖尿から網膜症、
失職して破産手続き、
生活保護の対象となっていた。
義母は義父の遺族年金で
何とか暮らしていけたが、
それでも足りないところは、
僕が補わなくてはならない。
今もそうだが、内憂外患、
満身創痍の状態だ、と認識するのに、
そう時間は掛からなかった。
経済的には、表向きは何とも
無いように振舞っていた。
特に子供には、財政が切迫
していることを悟られぬ
ように頑張った。
まだ僕の母が元気だった頃、
母の悲願であった「持ち家」
をもつこと、
そうすることで親孝行をしたい、
と思った僕は、
30歳になったばかりだったが、
勤めから独立をして、
25年のローンで土地を買い、
小さいながらも家を建てた。
そのローンだけでも月に8万強、
ボーナス時には40万弱の
支払いが毎年発生する。
事業を起こしたばかりの
初めの数年は、
それでも幸先良いスタートを
幸運にも切れたようなので、
息子を中高一貫校にも進学さ
せてやれたし、
母がずっと気にしていた
お墓も購入できた。
しかし、妻の治療には、
サラリーマンの平均
月収くらいの額が平気で
掛かってしまう。
前述のように保険が使えない。
国保の制度で一番安く
上げようとしても、
それでも10万以上のお金が
毎月治療費として出て行くことに。
それでも、自営業者になったのは、
妻の治療費を払う為だったんだ、
と自分を納得させながらの
日々が続いた。
ふと足を止めようものなら、
そのままヘナヘナとなって
しまいそうな自分を奮い立た
せることで精一杯だった。
気が付いたら、僕は糖尿に
なっていた。
因果関係もはっきりしないが、
EDにもなっていた。
若いときの交通事故で、
肝臓障害の残る僕は、
自分が医者に行くことも侭
ならなかった。
朝5時に起きて子供の弁当、
そして父と妻と息子の朝食を作り、
洗濯と買い物、身体が痛む
妻の身体をさすり、
入浴介助をし、部屋の掃除の
後、昼食を準備し、
昼食を取らせている間に夕食
準備をし、
その後仕事に出掛け帰ったら、
山のように積んである洗い物をし、
妻の様子を見、会話をして
自分が寝るのは
夜の2時を過ぎないことがなかった。
僕はそれでも、妻に
生きがいを持ち続けて欲しかった。
妻は通院治療を止めた。
僕はせめて、「フローエッセンス」
だけは飲んで欲しい」と頼んだ。
不味いハーブティーだが、
それはしぶしぶ承諾してくれた。
僕は毎日、それを煎じて
作り、毎日それを飲
![post-title](https://i.ytimg.com/vi/TD0gLPjQ8jc/hqdefault.jpg?sqp=-oaymwEbCKgBEF5IVfKriqkDDggBFQAAiEIYAXABwAEG&rs=AOn4CLDfY8KtsshagHZ9cxBSSEtnxEJd5w)