隨著年紀,腿上的靜脈越來越明顯,
臨床上,也會遇到靜脈曲張、雙腳腫脹、下肢疼痛、皮膚色素沈澱、腳抽筋等不適,甚至慢性潰瘍傷口不癒。
-
該怎麼辦呢?穿 #彈性襪 (compression therapy) 是靜脈功能不全,最基本的治療兼保養。(但有時候穿不住啊)
-
幫助血液循環🔄的傳統口服藥物💊像是Alvolon (diosmin)、七葉樹種子萃取物(horse chestnut seed extract)、銀杏萃取物 (gingko biloba extract),效果並沒有很明確。
-
新的口服用藥 #Daflon,含有5種類黃酮活性成分( # MPFF, flavonoids),能夠有效抗發炎、抗氧化。
-
➡️2週改善疼痛💡
➡️6週改善腫脹💡
➡️8週整體症狀緩解💡
🎛機轉:
改善下肢循環(macro- and micro-circulation)、調劑血管張壓、保護靜脈血管及瓣膜。
-
🙈副作用:少數人會腹瀉或腸胃不適。整體算是安全性佳的藥物。
-
講師們也分享了很多案例,病人長期靜脈曲張、雙腳👣腫脹疼痛不適、時常腳抽筋,嘗試這顆自費用藥(一天一顆60幾塊),服藥後有效改善、終於能愉快地正常走路散步。
-
打了AZ疫苗之後,老人家的靜脈腫脹、慢性靜脈功能不全、合併急性發炎、突然不能走路,給予藥物之後有效改善。
-
雖然我並沒有在做靜脈曲張的手術治療,但臨床上也遇過不少因下肢不適、靜脈循環不良導致皮膚問題的病患會來看皮膚科。
-
希望這顆近期新進台灣的藥物可以幫助更多有下肢靜脈曲張、血液鬱積導致皮膚問題患者✨✨
#靜脈曲張 #下肢傷口潰瘍 #鬱血性皮膚炎 #Daflon #林酒店
同時也有3部Youtube影片,追蹤數超過1,310的網紅大象中醫,也在其Youtube影片中提到,https://forms.gle/vGKZVNrAEmbG69TG6 中風無法避免 中風傾家蕩產 中風復健支出 永遠在銀行理專資產規畫地圖之外 中風後遺症的復健需要一份地圖 這個3天的課程 給的就是這一份地圖 想像 突然在接到醫院通知最親近的親友中風 那種倉皇無助的感覺 就是輸在起跑點...
老人 手術 費用 在 羅廷瑋 Facebook 的最佳貼文
《寫給大家的一封信》
今天自己躺在醫院,心中不免是五味雜陳,想跟大家分享…
#要每年健康檢查愛自己
#開刀小手術別擔心鼓勵大家要買保險
#爸媽要騙去健康檢查
——————題外話——————
我常關心著許多長輩要他們健康檢查,對自己好一點,每年都還會配合里長在里內舉辦健康檢查活動,目的就是希望大家方便撥空照顧愛惜自己。
想一想!唉…我的爸媽也是講不聽這一類,總是不愛健康檢查,老人家 #擔心說越檢查越多病
小羅為了他們的健康著想,買健康檢查套裝送給爸媽,就是不肯去檢查,還一直詢問費用,怕花費太多。
也許長輩他們都是擔心怕我們花錢,怕我們麻煩吧⋯⋯
但是想想,跟爸媽僵持到最後,我只好使出最後絕招,說說善意的謊言:「爸爸媽媽別擔心,健康檢查醫院送我的,因為我是民意代表。」其實壓根兒根本沒這回事😂😂😂
但,也只有善意的謊言他們才肯願意好好配合檢查…😵💫
在此…我希望看完這個文章的大家,去把你還沒做到的愛,用善意的謊言包裝,帶長輩們點定期去做健康檢查吧!因為…「一個家,長輩們的健康是非常重要一環啊!」
最後看到文章的大家也請別擔心,小羅目前已經回到家休養,也請大家多多注意自己、長輩親友的身體,大家都要平安、健康!
#感謝中山醫學大學醫院團隊的照顧
#傷口還是好痛啊😅
老人 手術 費用 在 Dr.李薇復健與生活頻道 Facebook 的最讚貼文
如果有奇蹟的話,那是來自於上帝….
病危通知書已經下達了,醫生們跳上病床壓胸、電擊、插管,竭盡全力也沒法讓面前這個美麗的女人甦醒過來,男人不願意放棄,「拜託你們!拜託你們了!無論用什麼方法,拜託你們讓她活著,即使她不能醒來,不管花多少錢,多少錢都沒關係,我只想讓她活著,求你了醫生!」男人撲通一聲跪倒在地上,膝蓋摔了個紅腫,醫生們看著男人,也是十分心疼。
幾天前,一場服裝設計公司設計師面試會上,這個男人侃侃而談,拿出自己的服裝設計圖,以及他老婆試穿照片給評委們看,評委們經過幾輪篩選後,說出這樣一句話:「手是雙巧手,衣服潮流,模特兒穿上也好看,可惜你不適合我們公司。」男人以堅定無語的眼神回應,他相信自己絕對會遇到伯樂。
一家、兩家、三家,這座城市彷彿像一張蛛網,這邊碰壁,其他又落選。太陽升的正高,曬的男人口渴汗流,
他穿著西裝在不同家公司大廳奔波著,他在等,等著被錄取,然後回去和老婆一起慶祝。「不不不,男人內心矛盾了,他要生一筆錢,不然老婆治療的費用就中斷了,他們原本住在美國,但因為老婆突發腦梗塞,在美國住院的費用花光了他們所有的積蓄,他為了照顧老婆,把工作辭了,試過各種復健方式只為了讓他太太能更好一點,那龐大的醫療支出,不得已把美國和台灣老家的房子都賣了,他帶著太太回來台灣,因為沒有健保,生活也成了一種窘境。
回來台灣,他創業失敗,才開始了服裝設計公司面試,而簡歷上永遠寫著:「我必須時刻照顧妻子,所以我希望在家裡工作……」
或許疫情現在改變我們全世界的工作以及生活形態,但在三年前那時的在家工作,在服裝設計業,似乎成為不可能。
回到剛才,主治醫師說明了這次是新的腦溢血,血液淹沒了腦幹,他跪下來求醫師們趕快進行手術,但又有幾個人能保證手術一定成功?腦幹是人維持呼吸心跳生命最重要的部位之一,沒有人敢保證這刀是能開還是不能開?醫師們勸他要有最壞的打算⋯⋯
大概只有神才能和死神爭鬥吧!
男人步履蹣跚的走出加護病房大門,坐到醫院外的長椅上,對著妻子的照片哀嘆:「醫院真是一個決定心情的地方啊,天又是一個陰天,怕是一會就下暴雨了!」
一旁白鬍子老人伸著懶腰想試著和男人交談,可男人卻依然低著頭沉悶,面試包裡的設計圖散落一地。
「多漂亮的衣服和女神啊!像極了希臘神話裡的阿芙蘿黛蒂。」老人換了個方向引起話題,男人終於抬起了頭,「是啊!我多希望躺在那裡的是我,我們一直向神祈禱奇蹟,可現在神又在哪裡呢?......」男人講著講著逐漸抽泣起來。
「多情自古傷離別,你的太太正在跟死神爭鬥,她都還沒放棄。年輕人,看開一點,興許上帝在來的路上。」老人點了一根菸抽起來,也遞給男人一根,兩個人抽起來悶煙,煙飄進烏雲裡看不見,找不著……
嘀嗒!嘀嗒!嘀嗒!烏雲朦朧了周圍,雨也持續敲擊著這個不堪的世界。
「伯伯,您不回去嗎?在這邊淋雨你可能會感冒的。」男人抬起頭主動說起話來,老人搖搖頭,吐了一口煙長嘆:「我也算是個藝術家,可藝術家的家裡就剩我一個了,煙抽了幾十年,算是個老癌症患者了,還不是日子照常過,可又有什麼意思呢?淋死也沒什麼大不了!」
男人脫下外套蓋在老人頭上,兩個男人在雨天淋著雨,談著彼此的人生,此時一把傘罩在他們的心頭上。
滴滴滴滴滴滴……手術室的大門打開了,凌晨三點,太太被推到手術室外的恢復室,男人抬起頭,雙眼紅紅的,他一夜緊緊互掐雙手,雨一直沒停,他害怕從手術室出來的是冰冷的屍體。病床上的太太還沒有醒,太太身邊有一封信,信的溫度還是熱的,男人開啟信,裡面是一張知名服裝設計公司的招聘卡,上寫著招聘標準:
1.忠誠於妻子並有善心。
2.對生活保持十足的信心。
3.我們公司允許自選工作地點。
公司地址:xxxxxx
面試時間:xxxxxx
幾天後妻子的恢復情況良好,轉到一般病房。男人如約去了那家服裝設計公司面試,他推開面試房間的門,一眼就認出了那位白鬍子老頭.....
「伯伯,你怎麼知道我太太那天開刀?信,是您放的嗎?」
「是我請我姪子放的,幫你開刀的其中一位神經外科醫師,是我的姪子…..」
或許這一切的巧合和奇蹟,都來自於我們的造物主…..
老人 手術 費用 在 大象中醫 Youtube 的最讚貼文
https://forms.gle/vGKZVNrAEmbG69TG6
中風無法避免 中風傾家蕩產
中風復健支出 永遠在銀行理專資產規畫地圖之外
中風後遺症的復健需要一份地圖
這個3天的課程 給的就是這一份地圖
想像 突然在接到醫院通知最親近的親友中風 那種倉皇無助的感覺 就是輸在起跑點了
這個班 讓你模擬 時間點上的那一天
而你 在很早很早之前 擁有一份成竹在胸的地圖 就贏在起跑點了
那是一種打疫苗的概念 而醫學院的教科書 並沒有中風的疫苗概念
只要看看 醫生自己中風 與平民老百姓 並無異狀 都是一路下坡
人生 可以一路領先很多人 高學歷 高事業 高收入 高資產 妻賢子孝
中風 是人生最後一段時間的挑戰
大幅領先了前半場 卻在最後半圈 喪失行動能力
眼睜睜看著落後者 龜速超車 毫無作為 這只是因為欠缺一份地圖
所有的人生未完成壯志 在中風坐輪椅之後 直接結案 寫下句號
悲慘的故事聽太多 需要的只是 贏在起跑點的行動力
中風復健 與帕金森復健 或老人失智復健 或小腦萎縮復健 以及高位頸椎手術後復建
共用底盤 用同一套復健邏輯
一個懂了 所有的疾病都懂了
一個不懂了 那就每一個疾病 不意外的一直意外再重演
大象中醫診所 提供一份地圖
在110年中秋連假 提供一份 中風後遺症的復健地圖
贏在人生起跑點
上課日期:2021/9/18(六), 9/19(日), 9/20(一)
上課時間:AM09:00~PM12:00, PM02:00~PM06:00 3天共21小時
上課地點:大象中醫診所2F(新竹縣竹北市嘉豐二街一段121號2F)
上課費用:NT 30000
連絡信箱:[email protected]
老人 手術 費用 在 老王 Youtube 的最讚貼文
#PRANK 到底有什麼好報警的啦?讓路人選擇要或不要,不管怎樣選都會被噴!結果路人爆傻眼生氣報警處理!天啊!這根本就是垃圾網紅才想得出的三流垃圾梗啊!
-
-
您好!我叫老王,是一個標題黨,為了這個標題先跟您道歉,對不起!
但我不這麼做,在這個只看標題的年代並沒有那麼多人想重視這個問題,
我有個毛小孩,叫做小小王,他12歲了,最近他身體情況出現了問題,
光是這個月就花了上萬元的手術費用,我的毛孩還有我能幫忙,能照顧;
但是收容所中的那些毛小孩呢?四處在外流浪的毛小孩呢?
如果可以...希望有能力的你,能夠伸出援手,領養代替購買!幫助毛小孩!
-
請大家多多支持黃明志Namewee 在2019年9月7號在新山的 HOPE 希望护生园 流浪動物慈善晚會
【蝦皮毛孩公益活動 Shopee's Charity Campaign】
馬來西亞捐款链接 Malaysia Shopee Donation Link: https://shopee.com.my/m/hope-shopee
台灣捐款鏈接 Taiwan Donation Link: http://bit.ly/SPNWYT
【注意:這是我自發響應的活動與黃明志或任何公司無任何關聯】
-
觀看其他影片🔽
老王惹怒詐騙集團!詐騙集團碰到老王,也是被耍的團團轉!
https://youtu.be/DpZR1VeW4b4
-
台灣最神聖,最沒汙染的傳統文化8+9
https://youtu.be/JnGEI2-S0lw
-
教你成為一個很會搶博愛座的貪婪老人
https://youtu.be/5F5MIsG43DQ
-
破日文搭讪#1 用破日文真的能带日本女生回家啪啪啪! ?
https://youtu.be/AmXgtvyvh9s
-
老王的粉絲專頁: https://lihi.cc/jvTHs
老王Instagram: https://lihi.cc/1EJia
-
這是一部重製過的影片,過去因為某些緣故而移除,現在因為感動而重新上架。
老人 手術 費用 在 まとめまとめの Youtube 的精選貼文
【まとめのまとめ】
チャンネル登録はこちら
https://goo.gl/QN6ioA
自分語りスマソ。
話の始めはスレ違いに
思えるかも知れないが
吐き出させてくれ。
10年前の春、私(♂)
夫婦と同居している私実両親のうち、
母が3年の闘病の末亡くなった。
俺様な父は自分の妻の
葬儀にも喪主を私にマル投げ、
面倒なことは全て私と妻が
やり終えた。
居なくなった母の家庭内での
役割を出来るだけ私達夫婦で
分担したつもりだが、
私には仕事もあるので、
夕飯時などは妻が家事を
一人でこなしていた。
父は止める母が居なくなった
のを良いことに朝昼晩と酒を
絶やさなくなった。
後から判ったことだが、
どうやらその頃から、
舅の嫁イビリが在った模様だ。
妻は、当時独立してまもなく
自営業を軌道に乗せようと
一生懸命になっていた私に
心配を掛けまいとしていたらしい…
母が春に亡くなり、その夏、
妻の身体に異変が起きた。
末期の癌であり、早くて
3ヶ月、もって半年だと言う。
長くなるので、分けて書きます。
余命宣告に目の前が真っ暗になった。
まだ子供は小学2年生、
それも少し前まで可愛がって
くれていた祖母を亡くした哀しみを
何とか乗り越えたところだと
言うのに…
当時サラリーマンから転進
して自営を始めて間もない私は、
勤め当時とは比較にならない
収入を上げられるところまで
頑張れたのも、
妻との未来を想定しての
ことだったのに…
若い妻の生きたい、と言う
力を信じて、手術が行われた。
切除した部位により、
もう息子は兄弟を持つ望みが
無くなった。
外科手術、その後の化学
療法、掛かる費用は尋常では
なくなっていた。
簡保などでは到底追いつく
はずも無く、
あれが勤めの頃なら、
経済的に破綻していたに違いない、
と確信できる。
一旦退院できるまでに
奇跡的に回復し、
定期的な通院による化学
療法を受けることとなった。
しかし、その副作用は当人
以外には想像出来ないほどの
ダメージを与えるものだった。
妻は、自慢の髪が殆ど抜けて
しまったとき、
さめざめと泣いた。
私は、ただ抱きしめて
あげるしか出来なかった。
自分は、もしかしたら、病気
以外の苦しみを更に与えて
しまっただけではないのか、
と。
しかし妻は、母親の大好きな息子に、
苦しむ姿を見せることが無かった。
それでも、化学療法は通院と言えど、
2週休んで2週入院、
と言う半入院生活。
病院に居るときには父が孫の
世話をする日が続いた。
それが後々、とんでもない
間違いだった、
と言うことになるのである。
一年後、1回目の手術で取り
きれなかった部位の切除の為、
2度目の手術を行った。
1回目に当てに出来た医療保険は、
2回目のときには何処にも
そっぽを向かれた。
全て自費、である。
高額医療費貸付制度なども
最大限利用して
日々の暮らしを頑張っては
見たものの、
目に見えるほどではないが、
ジリジリと財政が危なくなる
ような悪い予感がした。
2回目の手術を終え、
定期的な通院による化学
療法をひと段落終え、
自宅での生活が始まった。
息子は中学受験を目指す
ことを申告してきた。
母の病気を治す医者になる、
と。
思う存分書きな。
ありがとう。
もともとお手伝いさんが
居るほどの大きな家で幼少を
過ごした父は、
戦争で何もかも失って
孤児院に行くことを余儀なく
された人だった。
それゆえ父は、生来の
お坊ちゃんならではの我侭と、
戦争孤児により世を恨む虚無
主義とが混在している、
実に難しい老人になっていた。
そんな父に、妻が入院中、
息子が情緒を育まなくては
ならないときに、
父が孫に吹き込んだ思想、
「どんなときでも自分以外は
信用するな」
所詮この世は苦しいことだらけ、
と言う考え方は、後々息子の
思考パターンを支配してゆく
ことになる。
通院とはいえ、化学療法は
やはり患者自身にとっては辛い。
全身を襲う倦怠感、
それにより家事も侭ならぬ
ことが多くなってきた。
私も出来るだけ家事に関わり、
時間の許す限り手伝ったが、
生前の母のような世話が
息子の私に出来る訳も無く、
父は酔っては文句を言う
ようになって来た。
「もう退院してるんだから、
家事をちゃんとやって貰わんと困る」
癌が完治した訳でも無く、
病を抱えて、妻は気丈に頑張ったが、
ある日、亡き母に託されて
いたことを僕の居ない間の
夕食時に妻が父に言った
「お義父さん、お酒は
控えましょうね。
お義母さんにも言われて
いたのでお伝えしますよ」
そうすると父は逆上し、
「やっとブレーキが
亡くなって好きなだけ
飲めると思ったのに、
何でそんな事云うんじゃ!
お前の顔見取ったら酒が
不味くなるから、
二階に上がって貰ってエエ」
と。
そう云われたことがきっかけに、
妻は鬱になった。
2回の寝室に引きこもりがちになり、
笑顔が減った。
>そっぽを向かれた
人の命を粗末にしようとする
保険会社の名前を出してください
癌の治療についての保障はしない、
と言う名目でした。
何とか中学受験を突破した息子は、
誰よりも強いモチベーションがある、
と信じていた。
しかし、後にも述べるが、
優しい心の持ち主だった息子は、
ずるさを身に着けてしまった。
引きこもりがちになった妻に、
父の容赦ない言葉の暴力が
降りかかるようになった。
「何もせんのは、甘えて
いるだけと違うのか」
私は当然抗議した。
貴方は現状を理解できないのか、
と。
そうすると、
「ワシは不幸じゃの。
親にも捨てられ、
妻にも先立たれ、今度は
嫁にも見捨てられ、
嗚呼、この世は憎い、ワシは
この世で一番不幸じゃ」
こちらの話を聞こうともしないで、
自室に戻り、寝る。
そんな日々が続いた。
出来るだけ息子の目には
触れないように配慮したが、
父は、孫と二人のときに、
かなり刷り込んだらしい。
「ワシは父に捨てられたようなもの。
オマエの父親もそのうち
お前を見捨てるかも知れんぞ。
所詮この世で信じられるのは
自分だけ。
よく覚えておけ」
父は自分の手を汚すことを
是としない人で、
掃除、洗濯、調理買い物と、
家事の殆どを私がすることになった。
それでも妻の手をとって
一緒に父不在時の折には
居間で楽しい時間を演出する
ように心掛けていた。
どうやら、父には、「彼女」
と呼べる女性が外部に居る
ようである。
そうこうして数年が経った。
余命長くて半年、と言わ
れてから6年が経っていた。
私は、病院治療のほかに
出来ることは無いか、
と、
心もとない英語力を生かして
薬事法の所為で国内正規販売
できないハーブティーの個人
輸入をして
妻にそれを飲んでもらったりして、
この数年間は、
マーカー値も安定して、
今思えばまるで夢のようだった。
しかし、病魔はそれを許さず、
確実に進行していたのだった。
妻が亡くなって、もう2年半
経つのに、
まだジタバタしています。
それでも子供は大きくなって行き、
父は年老いて行きます。
毎日が進んでいくのです。
僕が凹みきって、歩みを
止めてしまえば、
全てが終わってしまう。
このおよそ900日弱で、
何が変わったといえるのか…
それは、逢いたい妻はもう居ない、
逢えない、ということ。
何とか子供が成人するまでは、
と、それが妻との約束だ、
と思って頑張っているつもり。
思い出して、くじけそうになり、
みっともないところを
吐き出してしまうかもしれませんが、
どうか許してください。
化学療法を5年続けた妻は、
疲れきっていた。
息子の成長だけが、妻の
気持ちを支えていた、
と言えた。
その5年の間に、何度も妻が訴えた。
「お願いだから、もう無理」
「このまま少しずつ弱って
いくだけなら、
今生きる意味は何が在るの?」
泣きながら訴える妻に、
僕はまるで壊れたおもちゃのように、
繰り返すしかなかった。
「それでも僕や子供にとっては、
世界で一番大切な存在なんだ。
子供にとっては、
今父親よりも、母親の方が
ずっとずっと必要なんだよ」
また時には、掛ける言葉も
なく、僕もただ泣きながら
抱きしめるしかなかった
ときも数多在った。
そんな状態でも、して
もらえないことに対する
不満が絶えず父から僕たち
夫婦に投げつけられた。
「今出来ないことがどうしてもある。
我慢して欲しい」
と言っても、
父は、
「それならワシは、お前らの
足手まといだと言うのだな。
消えて欲しいと思ってるんだな」
とすぐに極論に走る。
そんな折、妻の実家の母親
(義父は僕たちの結婚の
翌年に亡くなっていた)
の癌が発見された。
妻と同じ部位の罹患、
ストマとウロストミの装着と
相成ってしまった。
妻には兄が一人居るのだが、
そのアニも糖尿から網膜症、
失職して破産手続き、
生活保護の対象となっていた。
義母は義父の遺族年金で
何とか暮らしていけたが、
それでも足りないところは、
僕が補わなくてはならない。
今もそうだが、内憂外患、
満身創痍の状態だ、と認識するのに、
そう時間は掛からなかった。
経済的には、表向きは何とも
無いように振舞っていた。
特に子供には、財政が切迫
していることを悟られぬ
ように頑張った。
まだ僕の母が元気だった頃、
母の悲願であった「持ち家」
をもつこと、
そうすることで親孝行をしたい、
と思った僕は、
30歳になったばかりだったが、
勤めから独立をして、
25年のローンで土地を買い、
小さいながらも家を建てた。
そのローンだけでも月に8万強、
ボーナス時には40万弱の
支払いが毎年発生する。
事業を起こしたばかりの
初めの数年は、
それでも幸先良いスタートを
幸運にも切れたようなので、
息子を中高一貫校にも進学さ
せてやれたし、
母がずっと気にしていた
お墓も購入できた。
しかし、妻の治療には、
サラリーマンの平均
月収くらいの額が平気で
掛かってしまう。
前述のように保険が使えない。
国保の制度で一番安く
上げようとしても、
それでも10万以上のお金が
毎月治療費として出て行くことに。
それでも、自営業者になったのは、
妻の治療費を払う為だったんだ、
と自分を納得させながらの
日々が続いた。
ふと足を止めようものなら、
そのままヘナヘナとなって
しまいそうな自分を奮い立た
せることで精一杯だった。
気が付いたら、僕は糖尿に
なっていた。
因果関係もはっきりしないが、
EDにもなっていた。
若いときの交通事故で、
肝臓障害の残る僕は、
自分が医者に行くことも侭
ならなかった。
朝5時に起きて子供の弁当、
そして父と妻と息子の朝食を作り、
洗濯と買い物、身体が痛む
妻の身体をさすり、
入浴介助をし、部屋の掃除の
後、昼食を準備し、
昼食を取らせている間に夕食
準備をし、
その後仕事に出掛け帰ったら、
山のように積んである洗い物をし、
妻の様子を見、会話をして
自分が寝るのは
夜の2時を過ぎないことがなかった。
僕はそれでも、妻に
生きがいを持ち続けて欲しかった。
妻は通院治療を止めた。
僕はせめて、「フローエッセンス」
だけは飲んで欲しい」と頼んだ。
不味いハーブティーだが、
それはしぶしぶ承諾してくれた。
僕は毎日、それを煎じて
作り、毎日それを飲