閱讀翻譯練習→可以先進網站看看是否能看懂原文,之後再參考我的翻譯。
<王秋陽老師翻譯>
(社説)座間の事件 救いの手をネットにも
(社論) 座間殺人事件 救援之手也應伸入網路之中
救いの手が正しく差し伸べられていたら、若者たちは命を落とさずにすんだのではないか。そう思わずにいられない。
如果我們有正確地伸出救援之手,那麼這群年輕人應該就不會失去生命了。我不得不如此思考。
神奈川県座間市のアパートで9人の遺体が見つかった。高校生を含む若い男女とみられる。この部屋に住む27歳の男が死体遺棄の容疑で逮捕された。
神奈川縣座間市的公寓當中,發現了9個人的遺體。推斷是包括高中生在內的一群年輕男女。住在公寓房間裡的27歲男子,以涉嫌遺棄屍體遭到逮捕。
ツイッターに自殺願望を書き込んだ人を狙い、「一緒に死にますか」などと言葉たくみに誘い出した疑いがある。調べに対し、男は「本当に死にたい人はいなかった」「金銭目的だった」と話しているという。
這名男子涉嫌鎖定一群在推特上留言想要自殺的人,然後以「我們一起死吧」等巧妙的話術,將被害者邀約出來。消息指出,針對警方的訊問,男子是表示說「其實沒有人是真的想死」「犯案目的是為了金錢」。
全体像の解明は捜査や裁判を待つ必要がある。だが立ち止まってはいられない。事件があぶり出した現代社会の病理に目を向け、できることから対策を打っていかなければならない。
全案整體輪廓的解析有待搜查及審判的努力。然而,我們不能就此停下腳步。我們必須將目光注視在事件所揭露的現代社會的病態上面,然後從能夠著手之處研擬對策。
ネット空間には「死にたい」という声があふれる。匿名で思いをはき出せるためで、実際には迷っている人が多いと専門家は見る。「死にたい」は「助けて」の裏返しでもある。
網路空間總是充滿了「想死」的聲音。專家認為,網路因為可以匿名吐露真實情感,因此使用者當中,實際上會有較多迷惘困惑的人。
そうした人を支援するしくみを社会全体で整えたい。
我們懇切盼望可以由整體社會建構出一個支援體系來幫助這些人。
自殺の手段や場所の提供を持ちかける記載があれば、サイトの運営会社に情報が集まるようにして、削除をふくめて早めに対応する。あわせて、「死にたい」という人と接点をもち、考えを変えるきっかけを与えるような働きかけも求められよう。
只要有提到自殺手段及提供場所等文字出現,立刻就將這些資訊集中到網路的營運公司內部,然後以包括刪除訊息等手段予以提早對應。再者,我們應該力求設立一個機制,以便能夠跟這些「想死」的人保持接點,進而給予他們改變想法的時機。
先駆的な活動例がある。
有一個先驅性的活動例子。
東京のNPO法人「OVA(オーヴァ)」は、グーグルの検索連動型広告を活用している。検索窓に「死にたい」などと打ち込むと、目立つ位置にOVAの広告が出るようにした。クリックすると、資格を持つ専門家にメールを送れる画面が現れる。
東京的NPO法人「OVA」,充分活用了Google的搜尋連動式廣告。他們把網路設定為,只要在搜尋欄中輸入「想死」之類的文字,在網頁醒目的位置就會出現OVA的廣告。接著只要點擊廣告,就會出現一個可以發送郵件給具有專業證照專家的視窗畫面。
スタッフや予算の制約から対象地域は東京都新宿区などに限られるが、4年間で600人の相談に乗った。3割に前向きな変化があり、医療機関や自治体の福祉部門に橋渡しできたケースもあるという。
雖然因為受到工作人員與預算的限制,「OVA」服務的對象區域只限於東京都新宿區等地,但4年來他們接受了600人之多的諮詢。據說,其中3成有正向的改變,而且有些例子還是成功地仲介到了醫療機關或地方政府的社福部門。
自殺対策基本法が制定されて今年で11年になる。自殺者の数は3万人台から2万人台になった。しかし中高年に比べると、若年層の減り方は鈍い。
自殺對策基本法制訂之後,今年已經邁入第11個年頭。自殺人數從3萬人左右降至2萬人左右。然而,與中高年相比,年輕族群的遞減趨勢卻有些遲緩。
スマホに慣れた若い世代は、電話よりも文字によるコミュニケーションを好む。その特性を踏まえたサポートのできる、OVAのような組織を各地に増やしていけないだろうか。行政が音頭をとって、悩みを受けとめる専門家の育成や、活動資金の助成を進めてもらいたい。
用慣智慧型手機的年輕世代,比起電話會更喜歡文字輸入的溝通方式。因此,我們應該在各地增加像OVA這樣的組織,充分利用網路特性給予年輕人幫助。希望我們的行政部門能夠率先推動計畫,培養處理煩惱問題的專家以及編列贊助活動的經費。
生きづらさを感じる人にひとりでも多く向き合い、支えになる。この痛ましい事件を経験した社会が、今なすべきことだ。
盡量多面對感覺生活痛苦的人,然後予於他支撐的力量。這正是經歷了此次慘痛事件的社會,立即必須要做的事情。
http://www.asahi.com/articles/DA3S13216473.html?ref=editorial_backnumber
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「進路希望調査 書き方 高校生」的推薦目錄:
進路希望調査 書き方 高校生 在 まとめまとめの Youtube 的最佳解答
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全ての漫画家志望に捧ぐ
聞こうか
スペック
スペック
男・フツメン
17歳まではごく普通の
生活を送ってきた。
特に大それた短所も長所も無い感じ。
まさに
「どこにでもいるようなごく
普通の男」
人生の分岐点が訪れるのは
17歳の夏。
進路希望表が配られた日の
ことだった。
俺の高校は割と偏差値のいい
高校だったが、
周囲の頭のよさに付いていく
ことに俺は限界を感じていた。
そこに俺の親友だった男に
進路をどうするつもりかを
相談してみた。
彼は
「俺はミュージシャンになるぜ」
と言った。
その迷い無き即答っぷりに…
俺はカッコイイと思った。
「人生は一度きり、ならば
好きなことを全力でやってみたい」
「退いて後悔するより、
進んで後悔したい」
彼の口癖だったが、それまで
何となくのレールに乗って
きた俺には新鮮な発想だった。
そして、俺も昔から
大好きだった漫画家を真剣に
目指すことを考え始めた。
「漫画家になろうかな」と
思ってから、
成績が下がるまでの間は
凄まじかった。
「漫画家に学歴は関係ない」
というのが逃げの口実となり、
次の考査で一気に赤点連発。
落第の一歩手前まで行きかけた。
高校をちゃんと卒業してから
漫画を描き始めようと決めていたが、
あの成績では意味が無かったかも。
ともかく、高校は無事卒業できて、
俺は漫画を見よう見真似で書き上げ、
S社に持ち込みに行った。
夢があるなら大学は行っといて、
芽が出なかったとき就職
しなきゃ人生詰むよ
S社で俺を受け持ってくれた
編集さんは今振り返ると
結構な敏腕編集だったのかも
しれない。
一流少年誌の看板漫画の当時
担当編集だった。
俺の原稿をとても字を追っ
てるとは思えないくらいの
スピードで読み、
「君の原稿を読む義理は
読者には無い」
というようなことを言った。
俺は自信があったということもあり、
そ
の言葉一つ、その編集の
厳しいテンションに
一気になえてしまった。
「金の卵がやってきた!
これは即デビュー、
次は連載用のネームを持ってきて」
くらいの反応を期待していたのだ。
今思うと本当に有り得ない
ことだけど、
当時は本気でそうなると信じていた。
しかし、その時点ではまだ
士気は折れていなかった。
S社の編集の腕なのかもしれないが、
けなされはしたけど俺の
作品のいい所も挙げてくれて、
いい具合にやる気を促された
ような気がした。
その作品は月例賞にまわさ
れることになった。
発表日まで何も手に
つかないくらいにそわそわしたが、
結局「あと一歩」にも
引っかからず落選。
これにも相当なショックを受けた。
今まで自信満々だったが、
ここで初めて自分は
天才ではないと思い知らされた。
そして、そんな中なんとか
第二作目をかき上げ、
同じ編集さんに見てもらう
ことになった。
ショックを受けるレベルが低
すぎるんじゃないの
ここまでまとめると、
高校卒業後漫画を描いて
持ち込んだが、
ボロクソに言われた。
が、
めげずにもう一度持ち込んだ。
でいいんだな。
第二作目の持込のとき、
その編集さんは1時間も遅刻した。
俺はいつ訪れるか分からない
編集さんに失礼のないよう、
背筋を伸ばしたままで1時間
待ち続けた。
一時間後訪れた編集さんは、
大げさな仕草で事務的に謝罪し、
特に雑談も無く俺の原稿を
めくり始めた。
相変わらずめくる速度が速い。
そして
「これは賞に出しても絶対に
引っかからないでしょう」
と言った。
「え?」
「主人公にまったく感情移入
できません。
例えばここのvんヴぁいhbf」
そこから先はよく覚えていないが、
とにかくこの作品は賞に出す
ことすら拒まれた。
2ヶ月掛けて仕上げた俺の第
2作目は、
預かってもらうことすら出来ずに
そのまま家へと持ち帰る
ことになったのだ。
帰りの電車の中、ものすごく
惨めだった。
今のままではいけない!と思った。
次の作品をかき上げるのには
半年以上かかった。
バイトで生活費を稼ぐのも
楽じゃなかったし、
原稿も今まで以上に丁寧に仕上げた。
ネットや本屋で技術を学び、
透視法、ケズリなどの技術も
織り込ませた。
すると明らかに今までと違う、
かなりいい原稿に仕上がった。
ストーリーは
「金色のガッシュ」の亜流
みたいな感じになってしまったが、
少年誌らしい自分の漫画に
満足だった。
意気揚々とS社にカムバック。
同じ編集さんに見てもらう
ことになった。
反応は良かった。
今活躍している作家陣の新人
時代と比べても遜色ないよ…
とまで言ってくれた。
「これは賞に出しましょう」
とも言ってくれた。
やった!!!!と思った。
それから賞の結果が
出るまでの一ヶ月間、
本当に幸せだった。
どれくらいの賞がもらえる
のかがかなり気になった。
ちなみに漫画の賞はどこも
大体同じような名前で、
大賞
→準大賞
→入選
→準入選
→佳作
→奨励賞
→期待賞
→もう一歩
という格付け。
佳作をとれれば
デビューレベルなので、
俺はその佳作に何とか
食い込めないものかと願った。
しかし、結果は…もう
一歩にすら名前がなかった。
なかなかおもしろい
このストーリーで漫画描けば
鳥山明の新人時代のボツ
原稿は1年で500枚だったと
WIKI先生が言っていたぞ
信じられなかった。
何かの間違いかとも
100回くらい思った。
しかし確認の電話を入れ
られるほどの度胸もないため、
放心のまま一週間くらいを過ごした。
ここで俺は初めて
将来に対して焦り始めた。
こんなニートに近い
フリーターのような生活をしていて、
ものにならなかったらどう
なるんだろう?
当然、こんな場合は
我武者羅に漫画を描き
続けるしかない。
でもクオリティを落とす
わけにはいかないし、
やる気が加速につながらない
のも作画のじれったいところだ。
結局バイトに追われながら
次の作品が仕上がったのは
8ヶ月以上も経ってからだった。
どうゆう展開になるかwktk
しかし、俺はS社には連絡を
入れられずにいた。
編集さんが俺のことを覚えて
いるはずもないだろうし、
いよいよとなるとこの
8ヶ月分の結晶が砕かれる
のが怖くなったのだ。
そして俺は、別の出版社
A社に持ち込むことにした。
S社に比べるとかなり格が
落ちてしまうが、
俺はとにかく結果が欲しかった。
格w
S社は分かるけどA社って何処だろう
よく知らないけど、
こういうのって最初の会社が
ダメなら他の会社に
持ち込むってのはダメなの?
問題ない
普通なら一度に何社も
掛け持ちするんだが
格て。
チャンピオン舐めてんすか
A社ってあそこしかないだろ…
みつどもえのとこ
もしマイナーかメジャーかで
格がどうとか言っちゃってるなら
やっぱりお前はプロに
ならなくて良かったよ
朝日ソノラマ
(現 朝日新聞出版)
かもしれんぞ
A社の編集さんは恐ろしく
優しかった。
志望雑誌のレベルを下げた
こともあり、
俺は初めてそこの賞で
期待賞を獲った。
これは本当に嬉しかった。
受賞者は名前とカットが
雑誌に掲載されるのだが、
その雑誌が発売される日は、
近くのコンビニまで0時を
回ってから、
自分のカットをチェックしに
行ったくらいだった。
その時点で俺の年齢は21歳。
大学に行った奴らは3年生。
もうすぐ就職活動という時期。
順調に人生を歩き始める同級生。
この波にきちんと乗れれば、
何とか彼らと肩を並べ
られるな…とか、
そういうことを思ってたのは
今でも覚えている。
そして、それから先は
一進一退の打ち合わせ。
ネーム段階から話し合いをして、
賞に出すという時期が続いた。
その時期は落ち込むこともあったが、
やはり基本は楽しかった。
そして1年以上打ち合わせを
繰り返した後、
俺は終に佳作を獲ることに成功する。
人生最高の時だったと思う。
その報告を電話で受けた時には、
喜びと安堵で涙が出そうになった。
これで俺の漫画人生は開ける!
次はいよいよ連載ネームを
切れるんだ!
年は既に23歳になり、
同い年の奴らは働き始めていたが、
何とか俺も社会人として
やっていけそうだ…と思った。
ここからが地獄の始まりだった。
すでに開始から6年か
連載ネームを切る作業は楽しかった。
特に今まで書いたことのない第2話、
第3話を描くのが新鮮だった。
読みきりではキャラ数を
減らせと言われるのが普通だが、
連載ではそうはいかない。
逆に魅力的なキャラクターを
どんどん出していかなければ、
物語は広がっていかない。
今まで溜めた欲求を
晴らすかのごとく、
暖めてきたネタの全てを
ネームに込めた。
この作業にも半年はかかったと思う。
担当編集を通り、次に
編集長に見せられることになった。
編集長がokサインを出せば、
晴れて俺も連載作家、
漫画家になれる!!
しかし、結果はボツだった。
普通ここまでやったら今頃
デビューできてるだろ
一体何があった
斬の作者ですらジャンプに
2度連載できているというのに…
1カットでもいいから、
絵を見せてもらえないと
なんとも言えない
「漫画家はデビューするまでは簡単。
デビューしてからの方が
遥かに難しい」
というのは、その時点で結構
耳にしていた。
しかし俺自身自分の連載用
ネームにはかなりの自信があった。
波に乗っていたということもあり、
編集長も通すだろうと思ってた。
しかし結果は惨敗。
このネームを手直し
するとかじゃなくて、
完全に沈めて新しい何かを
描けとの事だった。
「このストーリーを描く
ために漫画家を目指したんだ!」
と思えるほどのネームが
完全にボツになった
ショックも冷めぬうちに
「新しい何か」
俺は頭を捻った。
連載決まってから連載用の
ネーム作るのが普通なんじゃないの
少なくともエースで連載し
てる知り合いはそうだった
新人にも旬というものがある。
近く行われた賞で授賞をした
新人はやはり編集部からの
注目度も高い。
記憶に新しいし、若さもある。
逆にくすぶり続けると、
もうセンスが枯渇して
いるとか古いとか、
編集部内で飽きられて
しまったりすることがあるそうだ。
俺が連載用ネームを切って
いる間にも、
何人かの受賞者が生まれた。
俺は焦ってネームを切った。
しかし、俺が切れるネームは
方向性が似ていて、
そのネームは担当編集の
時点でボツをくらった。
そんな中、俺と同じ時期に
授賞した人の連載が決まった。
それは焦らされる
だから趣味を仕事にすると
こうなるんだよ
仕事と趣味は別々にできるのにね
ラノベ作家とか副業の人が多いよ
頑張れ、超頑張れ
俺は負けたと思った。
でも悔しさよりは焦りの方が
勝っていたと思う。
この時点で24歳。
気分転換に久しぶりに
同級生と飲みに行った。
同級生は社会人2年目で、
仕事が段々と板についてきた。
高校も割とレベルの高い
高校だったため、
皆良いところに就職できたようだ。
ちょっと前まではひたすら
皆で牛丼食べていたのに、
今や良さげな店で洋酒を飲む
ようになっ